ホソジュンのウマなりトーク
第176回 今の競馬界に感じること~少し距離を置いて~
競馬の騎手を目指したのが中学生の時。高校を卒業と同時に競馬学校へ入学をし、1996年に騎手デビュー。
そして2001年に引退をしました。
6年の短い騎手生活でしたが、私にとってはとても長く感じた年数。
毎日、何かに怯え、泣き、悲壮感漂う日々でしたし、縁故関係のない私が競馬の世界を目指した時から騎手になるための時間に全て注がれていたことを考慮すると12年。
年間3勝を挙げるのが精一杯で、年々騎乗馬を確保するのも大変な状況に…。
引退を決めた時は、失恋したかのような心境になり、競馬を見ることもできませんでした。
と同時に、実績もない私が今後、何をすべきか考えた際、高校を卒業した時点に戻って、新たな道への再出発を決めていました。
そんな時、武豊騎手が、「せっかく競馬に乗ったのだから、競馬を伝える仕事をしてみては?僕も協力するから」と手を差しのべて下さったのです。
とは言え、自分自身の状況も理解をしていたので、当初は迷いましたが、「競馬界のおかげで騎手になれたけど、騎手としては貢献できなかったわけだから、これからは恩返しのつもりで伝えることをすべきでは?」との母の言葉もあり、ホースコラボレーターとしての第2の人生がスタートしたのです。
毎週、火曜日に地元の愛知から滋賀へと通い、取材をスタート。
すると騎手時代には考えなかった点に多々気づき、自分自身の考えの甘さを認識するとともに、そこからスパッと気持ちが切り替わりました。
中でも魅了されたのが、厩務員さん方の話。20年以上前は、今とは違い在厩期間が長い中で競馬へと挑むシステム。
そこで見たのは、言葉で会話できない馬の気持ちを汲みとり、細かな部分にまで気を配り、時間を費やす担当者の方々の歩みでした。
例えば、寒暖の差が激しく、徐々に寒さが増す今の季節で言えば、状況に応じて帰宅後も厩舎へと戻り、馬服や馬房の後ろ扉の開け閉めに足を運ぶ方も。
その気遣いが、馬にストレスをかけず、レースにおいて存分にパフォーマンスが発揮できる要因の1つだと思えました。
厩務員さん方の話を聞くのが楽しくなり、気づけば夢中で取材をし、その内容を記事や競馬の中継時にリポート。
しかしながら時代の流れとともに、在厩期間も短くなり、そこにコロナ禍による規制も加わり、いろいろな意味で変化。
ここ数年は、そこに適応できない自分や様々なことへの理不尽さも感じ、この状況の中で競馬を伝える仕事をしてもいいのだろうか?と悩んだこともありましたが、それでも必要として下さる方もおり、なんとかここまで継続してきました。しかし今年に入り、騎手による事件の数々が発覚し、その際における制裁や対応のあり方が状況や人によってジャッジが異なると思われる点や、角田大河くんのことでは、根本的なことの論議よりも、ネットにおける安易な噂にJRAから事情聴取を受け、理不尽さは増すばかり…。
そこにきて、今回の藤田菜七子ちゃんのことにおいては、あんなに頑張ってきた彼女の最後が、こんな形で終わってしまったことに、今でも心が痛み、涙がでてしまいます。
正直、疲れてしまいました。
23年前、この仕事をする1つのきっかけとなった母の言葉「競馬界への恩返し」も、もう卒業していい頃な気がしましたし、今後のことも含め、今一度、競馬との距離を考える決心をしました。
よってコラムも今年いっぱいの来月をもって最後とします。ラスト1回を残していますが、長きに渡りご愛読、ありがとうございました。それでは来月に。
ホソジュンでしたぁ。