ホソジュンのウマなりトーク
第32回 中身もおばちゃん化してきたのかなぁ...私
2012.11.19
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先日、久しぶりに知人に再会しました。かれこれ10年ぐらいになるでしょうか...。とにかく競馬が好きで、レースのこと、血統のことなどなど、馬に関する全てに詳しかったお方。当然、すぐさま競馬の話題になるだろうと思いきや、最近は競馬をしていないとのこと。話を聞けば、金銭的な面や他の趣味ができたということではなく、「ただ単純に、昔みたいな面白みが今の競馬にはないから」と。
掘り下げて聞けば、「以前は個性的な騎手がたくさん存在したし、這い上がろうとする若手騎手の後ろには、必ず年配調教師の存在があり、その師弟関係にも心揺さぶられるものがあった...。
例えば、3冠を3頭の馬で分け合った、
テイエムオペラオー・和田竜二
アドマイヤベガ・武豊
ナリタトップロード・渡辺薫彦みたいな。
今はコロコロと騎手がかわるし、それどころかデビューしてすぐに引退をしていく若手も多く、その姿に切なさも感じる。そしてその一方では、自分よりも若い30代ソコソコの人が調教師になっているでしょ。今の世の中、IT中心で、確かに企業においても若手のトップは増えたけど、競馬はキャリアというか、職人的な匂いを感じる世界。それだけに希薄な感じというか、どんな馬作りをするのだろうか?という興味がなくなってしまって...」と。
あれだけ好きだった方が競馬から離れてしまったことにショックを受けると同時に、好きだったからこそ的確に捉えられているとも思える内容も...。
確かに形こそ違えど、競馬学校へ入学をして以降、競馬の世界に携わらせてもらって、私も早20年。この間に、様々なことが変化しているなぁ~と感じます。
騎手で言えば、エージェント制度の導入により、昔ほど厩舎の馬房へと足を運び、担当者の方と馬について話をしている光景が少なくなったようにも...。しかしこれは、こんにちのシステムを考えると、騎手にとっては必然的に馬の顔よりも人の顔を伺うことへと気持ちが移ってしまうようにも...。
また調教師で言えば、目ざましい数の若手の進出により、馬に1番身近な存在である厩務員や持ち乗り助手と言った経験をあまり積まずに、すぐさま調教助手へと転身するケースが目立ちます。
取材をしていても、馬乗りの合間あいまの時間を休憩室で過ごし、調教師試験の勉強に備えている若者の姿を目にしますし、あるベテラン調教師の方は、厩舎での呑み会に参加しない若手や、同僚同士でのプライベートな交流がない人も増え、横の繋がりが欠如しつつあるとの声も...。
もちろん何が良くて何が悪いといったことではないのですが、昔から、「馬作りは人作り」と言われてきた世界。全てがそうだとは思えませんが、確かにここ最近の傾向を見ていると、次世代を担っていこうとする若者たちが先を急ぐばかりで、人とも馬とも関わらない方向へと徐々に向っているような気がするのも確か...。それゆえ知人の言葉に頷ける面も...。
そしてその傾向が徐々にレースにおいて表面化されているように感じるのが、騎手引退後から約10年に亘り携わらせてもらっている関西におけるG1の際のゲート前リポートでの光景。
あの場所は、スタンドの歓声、観客の方々の雰囲気を一身に感じることのできる場所なのですが、ここ最近のG1では、熱気や活気が以前ほど伝わってこず、どことなく寂しさを覚えるのです。
的確に表現しづらいのですが、一昔前は、馬や騎手に自分自身を投影していたかのような個々の叫びが感じられ、その見えない空気がごちゃ混ぜとなり飲み込まれてしまいそうになるほどだったのですが、最近はキレイすぎるというか、どのレースにおいても一緒な感じがするのです。
ここ数年、そのことに危機感を抱くと共に、私の勘違い、もしくは気のせいかな?とも思ってはいたのですが、久々に逢った知人の言葉に、改めて今後の行く末に恐怖を感じるものでした...。皆さんはどのようにお感じでしょうか?
それではまた来月お逢いしましょう。
ホソジュンでしたぁ。
掘り下げて聞けば、「以前は個性的な騎手がたくさん存在したし、這い上がろうとする若手騎手の後ろには、必ず年配調教師の存在があり、その師弟関係にも心揺さぶられるものがあった...。
例えば、3冠を3頭の馬で分け合った、
テイエムオペラオー・和田竜二
アドマイヤベガ・武豊
ナリタトップロード・渡辺薫彦みたいな。
今はコロコロと騎手がかわるし、それどころかデビューしてすぐに引退をしていく若手も多く、その姿に切なさも感じる。そしてその一方では、自分よりも若い30代ソコソコの人が調教師になっているでしょ。今の世の中、IT中心で、確かに企業においても若手のトップは増えたけど、競馬はキャリアというか、職人的な匂いを感じる世界。それだけに希薄な感じというか、どんな馬作りをするのだろうか?という興味がなくなってしまって...」と。
あれだけ好きだった方が競馬から離れてしまったことにショックを受けると同時に、好きだったからこそ的確に捉えられているとも思える内容も...。
確かに形こそ違えど、競馬学校へ入学をして以降、競馬の世界に携わらせてもらって、私も早20年。この間に、様々なことが変化しているなぁ~と感じます。
騎手で言えば、エージェント制度の導入により、昔ほど厩舎の馬房へと足を運び、担当者の方と馬について話をしている光景が少なくなったようにも...。しかしこれは、こんにちのシステムを考えると、騎手にとっては必然的に馬の顔よりも人の顔を伺うことへと気持ちが移ってしまうようにも...。
また調教師で言えば、目ざましい数の若手の進出により、馬に1番身近な存在である厩務員や持ち乗り助手と言った経験をあまり積まずに、すぐさま調教助手へと転身するケースが目立ちます。
取材をしていても、馬乗りの合間あいまの時間を休憩室で過ごし、調教師試験の勉強に備えている若者の姿を目にしますし、あるベテラン調教師の方は、厩舎での呑み会に参加しない若手や、同僚同士でのプライベートな交流がない人も増え、横の繋がりが欠如しつつあるとの声も...。
もちろん何が良くて何が悪いといったことではないのですが、昔から、「馬作りは人作り」と言われてきた世界。全てがそうだとは思えませんが、確かにここ最近の傾向を見ていると、次世代を担っていこうとする若者たちが先を急ぐばかりで、人とも馬とも関わらない方向へと徐々に向っているような気がするのも確か...。それゆえ知人の言葉に頷ける面も...。
そしてその傾向が徐々にレースにおいて表面化されているように感じるのが、騎手引退後から約10年に亘り携わらせてもらっている関西におけるG1の際のゲート前リポートでの光景。
あの場所は、スタンドの歓声、観客の方々の雰囲気を一身に感じることのできる場所なのですが、ここ最近のG1では、熱気や活気が以前ほど伝わってこず、どことなく寂しさを覚えるのです。
的確に表現しづらいのですが、一昔前は、馬や騎手に自分自身を投影していたかのような個々の叫びが感じられ、その見えない空気がごちゃ混ぜとなり飲み込まれてしまいそうになるほどだったのですが、最近はキレイすぎるというか、どのレースにおいても一緒な感じがするのです。
ここ数年、そのことに危機感を抱くと共に、私の勘違い、もしくは気のせいかな?とも思ってはいたのですが、久々に逢った知人の言葉に、改めて今後の行く末に恐怖を感じるものでした...。皆さんはどのようにお感じでしょうか?
それではまた来月お逢いしましょう。
ホソジュンでしたぁ。