ホソジュンのウマなりトーク
第80回 人間は考える葦~歩みを振り返ってみました~
2016.11.16
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つい先日、41歳にもなって大泣きをしてしまいました。それとともに、虚無感・脱力感が襲い、心も体も動けなくなってしまいました...。
生きていると、どうしようもならないこと、自分の力だけではどうにもならないこと、理不尽と思えること、いろいろありますね。
そういったことは「自分だけでない」と頭では理解していても、現実に直面をすると、費やしてきた時間や年数の分だけショックは深く、今後に対しての絶望感も加わり、恥ずかしながら停止状態になってしまいました。
振り返れば、騎手時代にも散々涙を流してきた過去があり、これ以上、悩んだり、どうにもならないことに対して向き合うのは避けたいと思っていたのに、また繰り返してしてしまっている状況。
しかしながら、よくよく考えてみると、騎手時代の挫折で一時は競馬を見ることすらできなかった私が、吹っ切れたように切り替えができたのは、現場を取材した際に、担当する厩務員さんや持ち乗り助手さん方の日々の歩みを知ったから。担当馬2頭の馬に対して費やす時間の多さや、重箱の隅をつつくような些細なことにまで神経を配り愛馬への精神的配慮を行う姿など、騎手時代には感じ取ることのできなかった人々の仕事を目の当たりにした時、私のような技術のないものが淘汰されていくのは当然のことだと認識すると同時に、何もまわりを見れていなかった中で騎乗させてもらっていたことに、申し訳なさを感じました。
その瞬間に一気に霧が晴れ、担当者の声をもっと聞きたい、知りたい、教えてもらいたいと思うようになりました。
そう考えると、きっと今回、私自身が直面している悩みというのも、何か見えていない部分や、感じ取れていない何かがあるのかもしれないと思え、過去の経験をもとに少しだけ気持ちも動きだしました。
抽象的な話しとなってしまいましたが、人間は考える葦であるとのパスカルの言葉を、「人間とは運命に従順であるが、しかし精神で運命に抵抗し、不屈の意志で思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由な存在である」と解釈をし、この言葉を心に留めておきたいと感じる10月でした。
さて話は変わり、数か月ほど前あたりから、競馬以外のテレビ番組からの出演依頼を受けるようになりました。とはいえ大きな声で内容を話すのも、ちょっぴりお恥ずかしいのですが、他の雑誌に毎週掲載をしているシモネタ・ダジャレや過去の、お酒における武勇伝的なことなど...。
当初は、競馬のイメージに泥を塗ってしまうのでは?また現在現場で働く方々に迷惑をかけてしまうのではないか?とお断りをしていたのですが、今回のこともあり、よくよく向き合ってみると、シモネタ・ダジャレもお酒も、生きていく上で私を救ってくれた感謝すべきものたち。
特にシモネタ・ダジャレに関しては、下品という括りで嫌われても仕方がないのですが、今から20年前のトレセンは、今とは比べものにならないほどの男社会。
当初はそこでの環境に戸惑い、悩み続けた結果、相手を変えようと思うのではなく、自分自身が変わらなくてはと思い、毛嫌いをしていたシモネタトークに対し、言われる前に言い返そうと腹を括り、シモネタにダジャレを混ぜ合わせて発言したところ、周囲が大爆笑に。それを機に一気に皆との距離感も近くなり、過ごしやすくなったのです。
その日々の繰り返しもあって、今では周囲の男性もひいてしまうほど暴走しすぎところもあるのですが、シモネタの妄想にダジャレがミックスされることで思考も加わり、年配の男性や知人女性とはトンチ比べになるケースも多く、楽しいヒトトキとなるのです。
ということで、これからもシモネタとお酒は、大事にしていきたいものであり、ひょっとすると、このコラムが掲載されるあたりには、違和感を覚える場所で、皆さんのお目にかかっているのかもしれません。
それでは、また来月に。ホソジュンでしたぁ。
生きていると、どうしようもならないこと、自分の力だけではどうにもならないこと、理不尽と思えること、いろいろありますね。
そういったことは「自分だけでない」と頭では理解していても、現実に直面をすると、費やしてきた時間や年数の分だけショックは深く、今後に対しての絶望感も加わり、恥ずかしながら停止状態になってしまいました。
振り返れば、騎手時代にも散々涙を流してきた過去があり、これ以上、悩んだり、どうにもならないことに対して向き合うのは避けたいと思っていたのに、また繰り返してしてしまっている状況。
しかしながら、よくよく考えてみると、騎手時代の挫折で一時は競馬を見ることすらできなかった私が、吹っ切れたように切り替えができたのは、現場を取材した際に、担当する厩務員さんや持ち乗り助手さん方の日々の歩みを知ったから。担当馬2頭の馬に対して費やす時間の多さや、重箱の隅をつつくような些細なことにまで神経を配り愛馬への精神的配慮を行う姿など、騎手時代には感じ取ることのできなかった人々の仕事を目の当たりにした時、私のような技術のないものが淘汰されていくのは当然のことだと認識すると同時に、何もまわりを見れていなかった中で騎乗させてもらっていたことに、申し訳なさを感じました。
その瞬間に一気に霧が晴れ、担当者の声をもっと聞きたい、知りたい、教えてもらいたいと思うようになりました。
そう考えると、きっと今回、私自身が直面している悩みというのも、何か見えていない部分や、感じ取れていない何かがあるのかもしれないと思え、過去の経験をもとに少しだけ気持ちも動きだしました。
抽象的な話しとなってしまいましたが、人間は考える葦であるとのパスカルの言葉を、「人間とは運命に従順であるが、しかし精神で運命に抵抗し、不屈の意志で思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由な存在である」と解釈をし、この言葉を心に留めておきたいと感じる10月でした。
さて話は変わり、数か月ほど前あたりから、競馬以外のテレビ番組からの出演依頼を受けるようになりました。とはいえ大きな声で内容を話すのも、ちょっぴりお恥ずかしいのですが、他の雑誌に毎週掲載をしているシモネタ・ダジャレや過去の、お酒における武勇伝的なことなど...。
当初は、競馬のイメージに泥を塗ってしまうのでは?また現在現場で働く方々に迷惑をかけてしまうのではないか?とお断りをしていたのですが、今回のこともあり、よくよく向き合ってみると、シモネタ・ダジャレもお酒も、生きていく上で私を救ってくれた感謝すべきものたち。
特にシモネタ・ダジャレに関しては、下品という括りで嫌われても仕方がないのですが、今から20年前のトレセンは、今とは比べものにならないほどの男社会。
当初はそこでの環境に戸惑い、悩み続けた結果、相手を変えようと思うのではなく、自分自身が変わらなくてはと思い、毛嫌いをしていたシモネタトークに対し、言われる前に言い返そうと腹を括り、シモネタにダジャレを混ぜ合わせて発言したところ、周囲が大爆笑に。それを機に一気に皆との距離感も近くなり、過ごしやすくなったのです。
その日々の繰り返しもあって、今では周囲の男性もひいてしまうほど暴走しすぎところもあるのですが、シモネタの妄想にダジャレがミックスされることで思考も加わり、年配の男性や知人女性とはトンチ比べになるケースも多く、楽しいヒトトキとなるのです。
ということで、これからもシモネタとお酒は、大事にしていきたいものであり、ひょっとすると、このコラムが掲載されるあたりには、違和感を覚える場所で、皆さんのお目にかかっているのかもしれません。
それでは、また来月に。ホソジュンでしたぁ。