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第101回 オジュウチョウサンの挑戦~ファンの求める競馬を示唆するかのよう~

2018.08.17
 この夏、注目を集めた事柄と言えば、福島競馬で平地競走に出走したオジュウチョウサンでしょう。当日の競馬場はグッズを求めて長蛇の列となり、前年比138%超えとなる1万4千人以上のファンが詰め掛けての一戦になったとのこと。
 正直、その光景と現実に、(え?こんなに人気があったの?注目されていたの?)と、驚きと同時に、勝ち負け、配当、売り上げといったことが多く取り上げられる昨今の競馬において、こういった歩みや話題を皆が心待ちにされていたところもあるのかな?と感じ、心温まる思いにもなりました。

 考えてみると現代の競走馬の一生は、新馬戦のスタート時期が年々早まり、未勝利戦の終了も昔は4歳だったのが今では3歳。番組上や生産面からみても、短くなっている印象を受けます。

 このオジュウチョウサンは、7歳にして平地初勝利を挙げたわけですが、陣営が障害馬への転向を判断しなかったらこの1勝はなかったわけですし、耳メンコをとった方がいいと石神騎手がオジュウチョウサンの心理面に気づかなければ5つの障害GⅠ勝利も成しえなかったことでしょう。

 それどころか障害転向した当初は、人を落とそうとし、飛越も拒否していた様子。それを踏まえると、人と馬が根気強く対話をし、歩んだからこそ繋がった道のり。

 時間をかけてコツコツと進んだ先で得た7歳にしての平地の勝利と、有馬記念への出走を夢見る姿、そしてオジュウチョウサンの勝利を喜ぶファンの皆さんの声援には、単に二刀流だからという言葉では片づけられない、大切な何かを示唆しているようにさえ感じます。

 ちょうどその翌々日、グラスワンダーを育てられた尾形元調教師とお逢いする機会があり、当時の話を伺ったのですが、あの時代に存在していたのは、レースの瞬間だけの勝ち負けではなく、そこに至るまでに捉えてきた勝負師としての視点や、携わる人々の心理面を読んでの采配、そしてお互いがお互いに敬意を払いながら、それぞれの持ち場でベストを尽くしてきたと取れる言葉の数々が当時もそして今も聞こえ、それだけにレースだけでない、競馬全体の魅力を感じ、浸ってしまうところも。

 特に私が心動かされたのは、デビュー当時からのグラスワンダーの担当であった大西厩務員が定年となり、その後継に当時24歳という若さの佐々木助手が担当となった際の話。

 あの当時、尾形調教師は誰を担当にするかを1人で考え、結論を出されたのだそうですが、なぜ1番若い佐々木助手にしたのか?その背景には、引退か現役続行か考えた抜いた末の競走馬人生だったこともあり、若い人に経験を積んで欲しいという思いがあった様子。

 当時の新聞を読み返すと、主戦の的場騎手は、「馬の状態もそうだが、痩せ細っていく佐々木の健康面が心配」と気遣うコメントが掲載され、故障でのラストランとなってしまった宝塚記念で佐々木助手は、「担当者として何よりも無事を願わなければならないのに、僕は勝ってほしいとばかり考えていた。その罰が当たったのだと思う」と、自分を責め、故障の責任を一身に受けていました。

 そしてそんな佐々木助手に対して、「素晴しい仕上げで臨めていた」と尾形調教師は佐々木助手を労っておられましたが、あれから月日がたった今でも、「当時の判断は間違っていなかったと思うし、佐々木自身が経験を積めたと思う」と口にされていたのです。

 馬自身の紆余曲折の歩みとともに、その1頭に関わる人の成長や温もりも同時に伝わったあの時代の競馬。

 それをまたファンの方々も求めているからこそ、今回のオジュウチョウサンでのフィーバー振りが存在していたのではないかと感じるのは、私だけでしょうか?

 昨今、売り上げと反比例しての騎手・厩務員志願者数の減少を耳にしますが、これもまた何か繋がっているものがあるのかも...。

 皆さんは、どうお感じになられますか?

 それではまた来月、お目にかかりましょう。
 ホソジュンでしたぁ。
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