ホソジュンのウマなりトーク
第84回 集団行動から見えてくるもの~人によって変わってしまう方向性~
2017.03.15
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今月で3歳と半年を迎える息子。誕生してから今に至るまで、夜寝るのが非常に遅く、夫婦共々疲れ果ててしまう毎日に。知人の先輩ママに相談をしたところ、「元気がありすぎなのかも。運動させるのが、いいのでは?」とのアドバイスを受け、彼女の子供さんが通う体操教室へ入会し、早7か月。
とは言っても毎日ではなく、週1回の60分なので、就寝時間にあまり大きな変化はないのですが、馬だけではなく体操の街としても有名な栗東ということもあり、息子も楽しそうに通っています。
先生は3人。生徒の数は、その日によって違うのですが、3歳~小学校低学年ぐらいの子供たちが20人前後おり、最初の15分は、みんなで準備体操を行い、その後、年齢によって3グループに分かれての運動となります。
しかしながら我が息子は、半年以上たった今でも、最初の準備運動には未だに参加せず、1人周囲を走り回る始末。
私自身は、(できないから参加したくないのか?集団がまだまだ苦手なのか?まぁ、そのうちに慣れてくるだろう)とほかっていたのですが、つい先日、二人の子供を参加させているお母さんに、「発達障害の気があるのでは?早めに受診した方がいい」と声をかけられました。
きっと、1人で走りまわる息子の姿が、上の子供さんの幼少期と重なったのでしょう。話を伺うと、彼女のお子さんは突如小学校3年生の時のクラスの担任に、その点を指摘され、公立から私立への転入を勧められるとともに、病院で受診するようにと指示を受けたとのことで、早ければ、早いほど対処の仕方があると判断し、好意的に指摘してくださった様子。
しかしながら、続けて話を聞いていると、診察を受けた専門医は、「視覚で物事を捉えており、特殊ではありますが、それは個性ですし、いい点を伸ばすことを考えてください」とか、「発達障害はありますが、私立への転入を考えるほどではありません」と診断され、学校でも、先生によって、その判断が分かれたとのこと。
よって、そのお母さんは、「結局は先生によって、この子を扱えるか、手に負えないかで、その見極めが違い、それによって子供の方向性が変わってしまう」と分析されていました。
なんだか、この話を耳にした時、馬の育て方、関わり方そのものだと感じました。結局は、突出した部分を個性と捉え磨きをかけるか、削り丸くおさめてしまうかで、競走馬としての能力が変わってしまうのと同じこと。
思い起こされるのが、サンデーサイレンス産駒がトレセンに入り始めた際、ある人は、「今までの競走馬にはないタイプ。右にも左にも飛んでゆき、気性が荒く、手におえない」と分析し、ある人は、「凄いバネをもっている。気性の激しさはあるが、人間がうまく寄り添うことができれば、凄い爆発力を発揮できる」と話し、結果的に後者の判断により早く気づけた者が、サンデーサイレンスの良さを見出し、一時代を築く要因となったように思えます。
となると、結局は「人」。馬を扱う人、親となる人、先生となる人、導く人がいかに大事か、私自身も1人の子の親として痛感させられていますし、馬の世界を通して、教えられることが多くあると感じています。
また特に今は、馬の世界も集団調教が主流になりつつある状況下。集団の良さもあると思える一方で、馬にとっても人にとっても大事な部分がそがれてしまう危険性も孕んでいるのかもしれませんね...。
ちなみに、この話を息子が耳にしていたか否かは分かりませんが、その日、15分間のラスト5秒だけ、準備運動に参加する姿がありました。
それでは皆さん、また来月お逢いしましょう。
ホソジュンでしたぁ。
とは言っても毎日ではなく、週1回の60分なので、就寝時間にあまり大きな変化はないのですが、馬だけではなく体操の街としても有名な栗東ということもあり、息子も楽しそうに通っています。
先生は3人。生徒の数は、その日によって違うのですが、3歳~小学校低学年ぐらいの子供たちが20人前後おり、最初の15分は、みんなで準備体操を行い、その後、年齢によって3グループに分かれての運動となります。
しかしながら我が息子は、半年以上たった今でも、最初の準備運動には未だに参加せず、1人周囲を走り回る始末。
私自身は、(できないから参加したくないのか?集団がまだまだ苦手なのか?まぁ、そのうちに慣れてくるだろう)とほかっていたのですが、つい先日、二人の子供を参加させているお母さんに、「発達障害の気があるのでは?早めに受診した方がいい」と声をかけられました。
きっと、1人で走りまわる息子の姿が、上の子供さんの幼少期と重なったのでしょう。話を伺うと、彼女のお子さんは突如小学校3年生の時のクラスの担任に、その点を指摘され、公立から私立への転入を勧められるとともに、病院で受診するようにと指示を受けたとのことで、早ければ、早いほど対処の仕方があると判断し、好意的に指摘してくださった様子。
しかしながら、続けて話を聞いていると、診察を受けた専門医は、「視覚で物事を捉えており、特殊ではありますが、それは個性ですし、いい点を伸ばすことを考えてください」とか、「発達障害はありますが、私立への転入を考えるほどではありません」と診断され、学校でも、先生によって、その判断が分かれたとのこと。
よって、そのお母さんは、「結局は先生によって、この子を扱えるか、手に負えないかで、その見極めが違い、それによって子供の方向性が変わってしまう」と分析されていました。
なんだか、この話を耳にした時、馬の育て方、関わり方そのものだと感じました。結局は、突出した部分を個性と捉え磨きをかけるか、削り丸くおさめてしまうかで、競走馬としての能力が変わってしまうのと同じこと。
思い起こされるのが、サンデーサイレンス産駒がトレセンに入り始めた際、ある人は、「今までの競走馬にはないタイプ。右にも左にも飛んでゆき、気性が荒く、手におえない」と分析し、ある人は、「凄いバネをもっている。気性の激しさはあるが、人間がうまく寄り添うことができれば、凄い爆発力を発揮できる」と話し、結果的に後者の判断により早く気づけた者が、サンデーサイレンスの良さを見出し、一時代を築く要因となったように思えます。
となると、結局は「人」。馬を扱う人、親となる人、先生となる人、導く人がいかに大事か、私自身も1人の子の親として痛感させられていますし、馬の世界を通して、教えられることが多くあると感じています。
また特に今は、馬の世界も集団調教が主流になりつつある状況下。集団の良さもあると思える一方で、馬にとっても人にとっても大事な部分がそがれてしまう危険性も孕んでいるのかもしれませんね...。
ちなみに、この話を息子が耳にしていたか否かは分かりませんが、その日、15分間のラスト5秒だけ、準備運動に参加する姿がありました。
それでは皆さん、また来月お逢いしましょう。
ホソジュンでしたぁ。