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第113回 息子も来年は小学生 ~気になってしまうデットーリー騎手の息子ロッコ君~

2019.08.16
 早いもので息子も来月で6歳。来年は小学生に。
 3年前、余命宣告を受けた父が、「小学生になる姿を見たい」と言っていた言葉が思い起こされます。

 また手元には、「ランドセルはこれで」と、父から渡された封筒があり、このお金を使わせてもらう日も近くなったなぁ~と、感慨深いものがあります。

 そして周りには、既に小学校受験を受けたママ友もおり、「小学校はどこにするの?」「受験するの?」との問いかけも。

 我が家はいたってシンプル。自宅から見える小学校しか考えておらず、まったくもってお受験とは無縁。

 しかも息子は息子で、「ちかいほうがラクでいいよね。ねてられるし」と、5歳にして既にグータラ。

 大丈夫かな?と心配になるものの、強制的に何かを求めても結果、反発するか、自発性を削いでしまいそうで、私としては、その点が1番怖く、今のうちは本人任せ。

 しかも先日、父親が息子を包丁で脅しながら勉強をさせ、挙句の果てに刺してしまった事件の裁判が行われていましたが、お受験の問題は根が深いようにも...。

 社会全体の教育のあり方が、個々の家庭に歪みを生み、なおかつ暗記形式を主体とした学力では、主体性や協調性、思考力を萎えさせ、結果、社会に出てから苦労することが多く、発展しづらい日本社会になっているようにも...。

 そんな背景も1つにあるのか、2020年から教育改革が行われるとのことですが、現場で働く大人たち、いわゆる先生方のマインドが変わらなければ、システムが違っても、結果、何も変化しないようにも思えるところも...。

 私は、子供を絵の具に例えるなら白だと感じており、環境や出会う人によって何色にでも変化できる美しさを持っている一方で、逆に脆さも兼ね備えているように映るのです。

 それだけに、この先、日本の教育がどうなっていくのか?その改革とは違う教育を受け育ってきた現場で働く大人たちがどう対応していくのか?その点が個人的には気になっています。

 気づけば、今回のコラム、かなり馬とはかけはなれた話題となってしまいましたが、真っ白という意味では、馬も一緒のようにも思えます。

 また各々違うポテンシャルやアビリティー、キャラクターを持って生まれてきている点も。

 よって馬の取材を通して感じてきたこと、学んできたことが、子育てにおいての教科書となっていることが実に多く、騎手引退後、取材ができる形となったことに感謝と意義を感じています。

 さて子供の将来という意味で言えば、今、個人的に気になっているのが、デットーリー騎手の息子ロッコ君。

 ジョッキークラブのCMの中で、デットーリーと共に併せ馬をするロッコ君の姿が映し出されるのですが、「10代の子供は考えが変わりやすいから、あまり期待しすぎないように見守っている」と語るのですが、その言葉を裏付けているのが、楽しさしかないと言わんばかりのロッコ君の表情。しかし最後には、「でももし彼が騎手になりたいと本当に決めたときは、できるかぎりのサポートはする」と。

 デットーリー自身も名手であった父から様々なことを学び、そして今、ノンプレッシャーの中、自然な形でロッコへと受け継がれようとしている姿には、馬だけなく人もまたホースマンとしての歴史の深さを感じました。と同時に、騎手・ロッコ・デットーリーの誕生が目に浮かび、私の楽しみの1つとなっています。

 それでは皆さん、また来月お逢いしましょう。

 ホソジュンでしたぁ。

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