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第114回 ディープインパクトの思い出、そして海外から ~懐かしさと、かけがえのない馬作り~

2019.09.18
 この夏、競走馬としても種牡馬としても素晴らしい功績を残したディープインパクトとキングカメハメハの両馬が立て続けに旅立つというショッキングなニュースが...。
 あの当時の有力馬たちは、在厩期間が長く、本番に向けて逆算しての馬作りをしていた時代。それゆえペンを執る取材陣も、1頭1頭それぞれにおける陣営の思いや、馬の個性に触れ、気づけば各々好きな馬や応援したい関係者も存在。よって、「あの当時は、伝えたいことが山ほどあって、文章にも力が入った。今回の2頭の死によって当時が懐かしく思えたし、ああいった現場にもう1度戻ってほしいなぁ~と思うことも正直ある。だって、あの時と比較をすると、書きたいと思うことや、書ける話が少なすぎて...」との声がベテラン記者さんから聞こえました。

 確かにあの頃、ディープインパクトを担当する市川厩務員や、助手の池江敏行さんが、各社メディアに対して本当に丁寧な対応をされており、ディープインパクトという馬がどんな馬なのか?分かりやすく世間に届いていた印象があります。

 今思うと、あの取材対応の在り方があったからこそ、ディープインパクトは世代や性別を超えて愛された馬となったようにも思えます。

 しかも日本ダービー後は、放牧に出さずに札幌競馬場で調整。無敗の2冠馬を手元においた夏。その重圧は計り知れないものがあったと感じたのは、菊花賞でのゲート裏から厩務員さん方と引き上げてくるバスの中でのこと。

 3冠達成の瞬間、常日頃は各々の担当馬に一喜一憂する様々な空気に包まれるバスが、この日だけは、「市川さん、おめでとう」の声が飛び交い、皆が拍手し、祝福ムードに。

 もちろん、この光景は後にも先にもこの1回のみであり、私の心と脳裏に刻まれています。

 ディープインパクトの死によって、改めて思う現場で時間をかけた馬作り。そんなことを思い出すと同時に、イギリスでディアドラが勝利。日本を飛び立ってから、ドバイ→香港→イギリスで参戦。そしてその傍には、担当の込山助手が常に寄り添い、ケアと調教を担当。

 込山助手は、平成最初の年にトレセン社会に入り、当初は今回のような持ち乗り助手ではなく、橋田厩舎の調教助手として、担当者の方々と話しあいながら、アドマイヤグルーヴなど数多くの馬たちを重賞へと導いてきた腕利き。

 競馬が好きというより、馬が好きで、いつも馬の声に耳を傾けながら跨り、厩務員の方々と二人三脚で作り上げてきた方。

 例えば、気性の激しいアドマイヤグルーヴの際は、調教馬が少なくなった時間帯を選び、いつも、(ごめんなさい、気分を損ねないでね)と、心の中で話をしながら、優しく調教。

 また持ち乗り助手となってからは、担当馬にビビリで直ぐに立ち上がる癖の馬の際には、クッション材を購入し、馬房の扉に貼り付けるなど工夫をされていたことも。

 そうやって、常に馬と対話をされてきた込山さんだからこそ、気候や調教コースなど様々な環境が変わる中でも、馬の状態や負荷のかかり度合いを見極め、そして最終的に心身のバランスが整った中でレースに持っていくことができたのではないでしょうか?

 ディープインパクトの市川厩務員や池江敏行助手もそうですが、トレセンでの在厩期間が長い時代に培ってこられた方々の経験値というのは、宝であると、今回のディアドラの勝利やディープインパクトの現役時代を振り返り、再認識しました。

 皆様は、どうお感じになられますか?

 それではまた来月、お目にかかりましょう。
 ホソジュンでしたぁ。

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