ホソジュンのウマなりトーク
第137回 パソコン・タブレット・スマホとグーグル ~デジタルの進化とコミュニケーションの大切さの両立を~
2021.08.18
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パソコン・タブレット・携帯、これらが既に日常生活において必要不可欠なものとなっていますよね...。
特にコロナ禍となってから、ウインズや競馬場に足を運べない機会も多くなり、ネットで馬券を購入できる形に切り替えた方も多いのではないでしょうか?
私も、地方競馬や競輪番組に出演の際、ライブ配信中に馬券や車券を購入することもあり、加入。当たった・外れたと、一喜一憂しながら中継を楽しんでいますが、先日、あることにふと気づきました。
それはテレビとYouTube番組の違い。テレビの多くは、その日の注目レースの馬や人を取材し、そのVTRが流れることや、あらかじめ予想を提出し、その馬の推奨理由を含めた上での映像準備も。
その一方で、YouTubeはあくまでも生の映像を中心に出演者がトークしていくというもので、だからこそ、賭け事においては、事前に予想しながらも、臨機応変に買い目や推奨馬を変えることも可能なのです。
また手元にある携帯やパソコンで瞬時に馬券を購入できるからこそ、よりライブ感が増すところも。
もちろん、どちらが良いとか悪いとかいう話ではないのですが、デジタル化が進むことによって、人間の性質そのものが知らぬ間に変化していることに気づかされます。
と言うのも、つい先日、テレビの競馬中継番組に出演した際、以前では考えられないことなのですが、番組中に携帯で馬券を購入。オンエア中は、そこに何の疑問も抱かなかったのですが、番組終了後に自分自身の中で行っている振り返りをした際、共演した方の本命馬や、その理由、また番組中に流れた特集VTRの内容が、頭に残っていなかったのです。
以前、あるディレクターの方が、「最近の若い子は、ロケ先までの所要時間をグーグルで調べてスケジュールを立てる。でも、曜日によって交通状況は違うし、ましてや地域の催し物や工事などあれば通常というわけにはいかない。俺らの頃は、事前に足を運び試してみたり、地元の方に電話をして、状況を確かめることをしていた。それが...」と話していましたが、息子を持つ身となった今、確かにわからないことをすぐにググルことで終わらせてしまう状況に心配を抱いていました。
パソコンや携帯がない時代、分からないことがあると、少し自分の頭の中で考えてみたり、大人に聞いたり、辞書をひいたり、図書館へ自転車を走らせたことも。
大人になって思うのですが、こうした作業の中には、想像力を高める、人とのコミュニケーションが生まれる、体を動かす、景色や人の動きを感じる、また図書館という特異な雰囲気を肌身で感じることで、静かに行動するというマインドが子供心にも生まれ、あれが空気を読むことに繋がっていたのだなぁ...と。
だからこそ、ググルことで1人で完結してしまえる現代の状況を危惧していたのですが、気付けば、私自身が携帯で馬券を購入することに夢中になり、共演者の方々の思いや考え、また番組をご覧になっている方々の目線に立っていなかったのです。
よく環境が人を作ると言われますが、今回のことも、デジタル化が進む中で、気付かないうちに性質の変化が生まれていた証に思え、自分自身に怖くなったのです。
しかしその一方でデジタルの進化は、競馬中継における馬券の取捨という意味では、生き物だからこその面白さやリアルさが伝えられる素晴らしい側面があるのも真実。
よって今後は、番組出演の際はその両者を大切にする形となるように努め、自分自身においては大切なことを失わないように機械と付き合っていきたいと思いました。
皆さんは、どうお感じになられますか?
それでは皆さん、また来月お目にかかりましょう。
ホソジュンでしたぁ。
特にコロナ禍となってから、ウインズや競馬場に足を運べない機会も多くなり、ネットで馬券を購入できる形に切り替えた方も多いのではないでしょうか?
私も、地方競馬や競輪番組に出演の際、ライブ配信中に馬券や車券を購入することもあり、加入。当たった・外れたと、一喜一憂しながら中継を楽しんでいますが、先日、あることにふと気づきました。
それはテレビとYouTube番組の違い。テレビの多くは、その日の注目レースの馬や人を取材し、そのVTRが流れることや、あらかじめ予想を提出し、その馬の推奨理由を含めた上での映像準備も。
その一方で、YouTubeはあくまでも生の映像を中心に出演者がトークしていくというもので、だからこそ、賭け事においては、事前に予想しながらも、臨機応変に買い目や推奨馬を変えることも可能なのです。
また手元にある携帯やパソコンで瞬時に馬券を購入できるからこそ、よりライブ感が増すところも。
もちろん、どちらが良いとか悪いとかいう話ではないのですが、デジタル化が進むことによって、人間の性質そのものが知らぬ間に変化していることに気づかされます。
と言うのも、つい先日、テレビの競馬中継番組に出演した際、以前では考えられないことなのですが、番組中に携帯で馬券を購入。オンエア中は、そこに何の疑問も抱かなかったのですが、番組終了後に自分自身の中で行っている振り返りをした際、共演した方の本命馬や、その理由、また番組中に流れた特集VTRの内容が、頭に残っていなかったのです。
以前、あるディレクターの方が、「最近の若い子は、ロケ先までの所要時間をグーグルで調べてスケジュールを立てる。でも、曜日によって交通状況は違うし、ましてや地域の催し物や工事などあれば通常というわけにはいかない。俺らの頃は、事前に足を運び試してみたり、地元の方に電話をして、状況を確かめることをしていた。それが...」と話していましたが、息子を持つ身となった今、確かにわからないことをすぐにググルことで終わらせてしまう状況に心配を抱いていました。
パソコンや携帯がない時代、分からないことがあると、少し自分の頭の中で考えてみたり、大人に聞いたり、辞書をひいたり、図書館へ自転車を走らせたことも。
大人になって思うのですが、こうした作業の中には、想像力を高める、人とのコミュニケーションが生まれる、体を動かす、景色や人の動きを感じる、また図書館という特異な雰囲気を肌身で感じることで、静かに行動するというマインドが子供心にも生まれ、あれが空気を読むことに繋がっていたのだなぁ...と。
だからこそ、ググルことで1人で完結してしまえる現代の状況を危惧していたのですが、気付けば、私自身が携帯で馬券を購入することに夢中になり、共演者の方々の思いや考え、また番組をご覧になっている方々の目線に立っていなかったのです。
よく環境が人を作ると言われますが、今回のことも、デジタル化が進む中で、気付かないうちに性質の変化が生まれていた証に思え、自分自身に怖くなったのです。
しかしその一方でデジタルの進化は、競馬中継における馬券の取捨という意味では、生き物だからこその面白さやリアルさが伝えられる素晴らしい側面があるのも真実。
よって今後は、番組出演の際はその両者を大切にする形となるように努め、自分自身においては大切なことを失わないように機械と付き合っていきたいと思いました。
皆さんは、どうお感じになられますか?
それでは皆さん、また来月お目にかかりましょう。
ホソジュンでしたぁ。