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第12回 救世主現れて

2009.12.01
 先日,ある原稿を校正していて驚いた。いや,驚いてはいけない,知っていたはずだ。

 あるレースとは,1994年の第9回ダービーグランプリ。水沢競馬場で行われた。菅原勲騎手騎乗のブラッククロスが,1周目のスタンド前でスーっと4番手に浮上。外目から徐々に進出し,直線で抜け出して優勝。馬群を割って迫るカネミボンバーに,1馬身差付けて勝ったレースだ。
 「驚いた」のは,そのレースの1着賞金。中央・地方交流となる2年前である。若かりし頃,一緒に各地のレースを巡った,我が編集部の中堅編集部員に「さて,いくらでしょう?」と聞いた。

 「2,000万円!」

 なかなかいい値付けだが,「ブブー」違います。正解は,なんと5,000万円。そういえばそうだったような。全国の3歳馬垂涎のレースだったような,そんな記憶がよみがえった。

 それを聞いていた弊紙解説者の吉川彰彦が,ポツリと言った。「それだけ賞金あったんだからさぁ,なるほどわれわれも原稿の仕事あった訳だよなぁ」なにか,シミジミとしてしまう話だが,ダービーグランプリは1986年,3歳馬による地方競馬全国交流競走として創設された。それまで各地でそれぞれ行われていたダービーの勝ち馬を集め,真の地方競馬3歳チャンピオンを決める。当時としては画期的なコンセプトの元に創られた。

 第1回トミアルコ,第2回スタードールと,南関東の牝馬が勝ち,当時の岩手競馬関係者にはそれがあまりにも衝撃的な出来事で,「これじゃまずい」と言うことになり,後にスイフトセイダイや,トウケイニセイ,メイセイオペラ等を輩出する,強い馬作りへの意識が形成された......。かつて,岩手の組合関係者にインタビューした時,そんな事を仰っていたのを覚えている。

 なんとなく,ジャパンカップ創設時のエピソードにも,似たような話があったと思うが,共通するのは,強い馬作りには,それに相応しい舞台(もちろん賞金も)が必要で,1度打たれて衝撃を受けて,意識を改める。そこから始まるのだろう。

 1986年の第1回,1着2,000万円でスタートしたダービーグランプリは,第5回に3,000万円,第7回に5,000万円と増額。それと共に認知度を増し,東京王冠賞があるため一線級が出走してこない南関東勢は,勝てなくなった。と同時に,北海道や,笠松,金沢からの遠征馬が活躍を見せ,ホストの岩手も第10回までに3勝を挙げた。

 第11回の1996年からは,中央・地方交流となって盛岡競馬場で行われるようになり,翌97年にはG㈵に格付けされ,1着賞金も6,000万円となった。以降,JRA勢の天下となり,地方馬は好走こそあれ,勝てなくなった。

 岩手競馬の経営難もあり,2004年の第19回から1着5,000万円に減額され,2007年の第22回は馬インフルエンザによる馬の移動困難で,グレード返上の上,1着600万円で施行。この年を最後に,22回で歴史に幕を閉じた。

 ここ数年,地方競馬の3歳は衰退傾向ではないかと思う。NARグランプリの最優秀3歳馬の顔ぶれを見ても,フリオーソやチャームアスリープなどグレードレース勝ち馬がいればいいが,いなければ「東京ダービー勝ち馬+ジャパンダートダービー地方馬最先着」となるケースが多い。選ぶ側から見ても,実はそれしかない。また,2001年以降は南関東に偏っている。賞金額で決まる騎手・調教師部門は致し方ないにしても,馬の偏りは徐々に他が衰退していっているからに他ならないし,南関東ですら怪しい。

 どうだろうか,今一度1986年のコンセプトに立ち戻り,地方競馬3歳チャンピオンを決めるレースを設け,また一から再構築してみては。さすがに1着5,000万円は無理だろうが。もちろんジャパンダートダービーとの関係も考えなければならないが,残念ジャパンダートダービーでもいいのではないかと思う。真夏の大井で行われている黒潮盃がそれに相当するレースではあるが,もう少し涼しい季節が理想だ。あの時季は取材していても暑いし,馬も辛そうだ。ならいっそのこと,東京ダービーを地方交流にしたらどうか?

 いずれにせよ,昨年に続き,今年も頭を悩ませそうな最優秀3歳馬。本稿執筆時点で今年も残り1ヵ月半。救世主でも現れないかと祈っている。


JBBA NEWS 2009年12月号より転載
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