馬ミシュラン
第60回『場外放馬』
2013.12.12
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事件は10月28日、午前3時5分ごろに起きた。笠松競馬場で調教中だった2歳牝馬のコスモビジョン(6戦1勝)が騎手を振り落とし放馬。さらに、競馬場敷地外へ出て、近くの町道で64歳の男性が乗る軽自動車に衝突。軽自動車はさらに衝突の勢いで対向車線を走っていた乗用車に正面衝突。軽自動車を運転していた男性は頭などを強く打ち死亡、コスモビジョンも死亡した。
競馬場外へ馬が逃げた事件といえば、1996年1月25日、物音に驚き大井競馬場内の厩舎にある洗い場から逃走し、首都高速羽田線を含め、約3.5キロ走ったスーパーオトメを思い出す。
デビュー戦では交通安全のお守り代わりに単勝馬券が売れた。21戦1勝で繁殖入りし、2004年に生まれた産駒の名は「ハシルコウソクドウ」と名付けられた。しかし、ネタで済んだのは幸いにも事故などの大事に至らなかったからである。
笠松競馬場の事件は死亡事故という最悪の結果となってしまった。しかも、今年に入ってこれが4回目の「場外放馬」であった。
2月20日、午前1時45分ごろ、6歳牝馬のスイートが場外へ逃走。33歳の男性が運転する軽自動車と正面衝突した。車は大破したが、運転手の男性にはケガはなかった。スイートは前脚を負傷し、予後不良となった。
3月10日に自動車との衝突事故が起き、自動車を運転していた男性が負傷している。さらに4月26日には、レース出走前の馬が場外へ逃げ、約10キロ離れた各務原市で捕まっている。
笠松競馬場では1997年、2003年、2005年にも複数回、同様の場外放馬事故が起きている。
同様の事例は前述の大井以外にも、今年8月に園田競馬場で、また2011年に川崎競馬場でも起き、通行人がケガを負っている。しかし、笠松競馬場での場外放馬事故の多さは異常である。それは、笠松特有の構造が場外放馬多発の原因であると考えられる。
地方競馬で放馬した馬は概ね厩舎方面へ帰ろうとする。JRAの競馬場だと帰り道が分からず彷徨っている姿が見られるが、地方競馬の場合は競馬場に厩舎が併設されているところが多く、日頃の調教もそこで行われているから、放馬した馬は馬場の出入り口へ向かおうとするのである。
実は笠松の場外放馬も同様であると思われる。笠松競馬場は競馬場に隣接する薬師寺厩舎地区と、競馬場から約2キロ離れた円城寺厩舎地区に厩舎がある。円城寺厩舎と競馬場の行き来は、川崎の小向のような馬運車輸送ではなく、引き馬である。厩舎を出た馬は、厩務員に引かれ、馬専用歩道を歩く。そして競馬場近くにある馬運車会社前の横断歩道を渡り、競馬場前の土手を昇り、土手の上の町道を渡って競馬場へと入る。日頃から調教やレースはそのルートを歩いているから、恐らく笠松競馬場から逃走した馬たちは、いずれも厩舎へ帰ろうとしたのだろう。そして道に迷い、交通事故に遭った。
「オグリキャップの故郷笠松競馬場は、町の中を競馬場へ向かう馬が歩いている」と紹介される。それが一連の事故の遠因だろう。
同様の光景は競馬場の周囲に外厩(いわゆる認定厩舎とは違う)が点在した宇都宮競馬場にも見られた。笠松の場合は一応離れた内厩だが、宇都宮の場合はそのものずばり「調教師の自宅」のような風体であった。平成に入ってからも外厩があったのは、他に川崎競馬場周辺の岩本亀五郎厩舎と長谷川蓮太郎厩舎だが、2001年に長谷川蓮太郎厩舎が小向へ移り解消した。宇都宮の外厩も2003年1月に、調教に向かうため道路を横断中のカネユタカオーに新聞配達員運転のバイクが衝突し、バイクを運転していた女性が死亡。この件で厩務員が重過失致死で送検されている。競馬場廃止とともに解消したが、元々外厩の解消を目的とした、新競馬場、トレセン構想により基金を崩したことが宇都宮の廃止を早めた原因のひとつでもある。
笠松に戻る。直接の原因は警備体制である。放馬のサイレンが鳴った際、ゲート閉めるはずの警備員は持ち場を離れていた。警備員増員、緊急警報装置の増設等の改善策で開催再開となったが、大事なことは「扉を開けたら閉める」「持ち場を離れない」ではないかと思う。
競馬場外へ馬が逃げた事件といえば、1996年1月25日、物音に驚き大井競馬場内の厩舎にある洗い場から逃走し、首都高速羽田線を含め、約3.5キロ走ったスーパーオトメを思い出す。
デビュー戦では交通安全のお守り代わりに単勝馬券が売れた。21戦1勝で繁殖入りし、2004年に生まれた産駒の名は「ハシルコウソクドウ」と名付けられた。しかし、ネタで済んだのは幸いにも事故などの大事に至らなかったからである。
笠松競馬場の事件は死亡事故という最悪の結果となってしまった。しかも、今年に入ってこれが4回目の「場外放馬」であった。
2月20日、午前1時45分ごろ、6歳牝馬のスイートが場外へ逃走。33歳の男性が運転する軽自動車と正面衝突した。車は大破したが、運転手の男性にはケガはなかった。スイートは前脚を負傷し、予後不良となった。
3月10日に自動車との衝突事故が起き、自動車を運転していた男性が負傷している。さらに4月26日には、レース出走前の馬が場外へ逃げ、約10キロ離れた各務原市で捕まっている。
笠松競馬場では1997年、2003年、2005年にも複数回、同様の場外放馬事故が起きている。
同様の事例は前述の大井以外にも、今年8月に園田競馬場で、また2011年に川崎競馬場でも起き、通行人がケガを負っている。しかし、笠松競馬場での場外放馬事故の多さは異常である。それは、笠松特有の構造が場外放馬多発の原因であると考えられる。
地方競馬で放馬した馬は概ね厩舎方面へ帰ろうとする。JRAの競馬場だと帰り道が分からず彷徨っている姿が見られるが、地方競馬の場合は競馬場に厩舎が併設されているところが多く、日頃の調教もそこで行われているから、放馬した馬は馬場の出入り口へ向かおうとするのである。
実は笠松の場外放馬も同様であると思われる。笠松競馬場は競馬場に隣接する薬師寺厩舎地区と、競馬場から約2キロ離れた円城寺厩舎地区に厩舎がある。円城寺厩舎と競馬場の行き来は、川崎の小向のような馬運車輸送ではなく、引き馬である。厩舎を出た馬は、厩務員に引かれ、馬専用歩道を歩く。そして競馬場近くにある馬運車会社前の横断歩道を渡り、競馬場前の土手を昇り、土手の上の町道を渡って競馬場へと入る。日頃から調教やレースはそのルートを歩いているから、恐らく笠松競馬場から逃走した馬たちは、いずれも厩舎へ帰ろうとしたのだろう。そして道に迷い、交通事故に遭った。
「オグリキャップの故郷笠松競馬場は、町の中を競馬場へ向かう馬が歩いている」と紹介される。それが一連の事故の遠因だろう。
同様の光景は競馬場の周囲に外厩(いわゆる認定厩舎とは違う)が点在した宇都宮競馬場にも見られた。笠松の場合は一応離れた内厩だが、宇都宮の場合はそのものずばり「調教師の自宅」のような風体であった。平成に入ってからも外厩があったのは、他に川崎競馬場周辺の岩本亀五郎厩舎と長谷川蓮太郎厩舎だが、2001年に長谷川蓮太郎厩舎が小向へ移り解消した。宇都宮の外厩も2003年1月に、調教に向かうため道路を横断中のカネユタカオーに新聞配達員運転のバイクが衝突し、バイクを運転していた女性が死亡。この件で厩務員が重過失致死で送検されている。競馬場廃止とともに解消したが、元々外厩の解消を目的とした、新競馬場、トレセン構想により基金を崩したことが宇都宮の廃止を早めた原因のひとつでもある。
笠松に戻る。直接の原因は警備体制である。放馬のサイレンが鳴った際、ゲート閉めるはずの警備員は持ち場を離れていた。警備員増員、緊急警報装置の増設等の改善策で開催再開となったが、大事なことは「扉を開けたら閉める」「持ち場を離れない」ではないかと思う。