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馬ミシュラン

小山内完友 馬ミシュラン

第83回 『さらばハイセイコー』

 9月のある昼下がり、日刊競馬の喫煙所で柏木集保(敬称略)から声を掛けられる。
 「キミ、ハイセイコーは観たことあるかい?」

 柏木は、会社にいる時いつもこんな感じで若手にネタを振ってくる。

 残念ながら筆者は、生でハイセイコーを観たことがない。学生時代には末期ではあったが、種付数は少ないながらも、現役種牡馬であった。その頃、大学の友人渡邉君と何度か日高の牧場巡りをしているが、残念ながらハイセイコーは見学していなかった。

 そう答えると、柏木が続ける。
 「おじさんはね、ちょうど入社した年が皐月賞を勝った年なんだよ」

 1973年(昭和48年)4月、柏木集保はなが~い間通った大学を卒業し、日刊競馬に入社する。その時筆者4歳。話が本題に入る。

 「それでさ、今度ハイセイコー記念の日にイベントに呼ばれたんだよ」

 意外であった。確かに入社した時が、ハイセイコーが皐月賞を制した年なら、呼ばれても不思議ではないが、そこに柏木さんとの接点はあまりイメージできない。柏木集保と言えばやはり「プリティキャストに◎を打った男」というイメージ。当時のCMは「日刊競馬YOUTUBE」で観ることが出来る。まだ「編集長」ではなく「◎(にじゅうまる)ディレクター」という不思議な肩書きだった。なぜ柏木なのか、疑問を投げかけると、「ハイセイコーを記者としてレース観た人が、もうあんまり居ないんだってさ」

 確かに。専門紙記者、日刊紙記者はサラリーマンである。基本、60歳になれば定年退職となる。1973年といえば42年前である。地方競馬の名馬・名勝負の編集をしていると、80年代どころか、90年代ですら現業で語れる人が少なくなっていると感じることがある。

 ましてや70年代である。70年代を昨日のことのように語れるのは、恐らく原良馬さんや長岡一也さん、山野浩一さんなど重鎮に限られる。さらに大井→中央と通しで語れるのは、記者では日刊競馬の柏木集保、ということで白羽の矢が立ったのではないかと思う。

 参考までに日刊競馬地方版の看板・吉川彰彦も当時大学生ではあったが、ハイセイコーを生で観ている世代である。ただまあ、主催者のイベントとしては「学生時代に」というのは、やはりNGなのだろう。

 ハイセイコー記念のイベントは2012年に元主戦騎手の増沢末夫さんが「さらばハイセイコー」を歌い、2013年は「ふりむくと~」で始まる詩「さらばハイセイコー」(「さらばハイセイコー」の歌の作詞は小坂巌さん)を残した故寺山修司さんの夫人で、昨年亡くなられた九條今日子さんと増沢さんのトークショーが行われている。

 いずれもその時代を知る人の貴重なお話が聞けて、素晴らしいイベントであった。

 何故か昨年は「三浦春馬さん来場イベント」だったが、それはそれで、目的は違うとはいえ開門待ちの列が出来たりして、ある意味盛り上がったと言える。そして今年再び元の路線に戻る。

 本来はハイセイコーの思い出を語るトークイベントの依頼だったのが、前の週にハイセイコー記念の予想もお願いしたいと言われたらしく、レース前日に当日版の新聞を片手に「勝つ馬教えてくれよ~」と社内を徘徊する姿が目撃されている。

 主に柏木が観た中央時代のハイセイコーの思い出から、種牡馬としてのハイセイコー。そして当日のハイセイコー記念の予想まで、笑いを絡めながらキッチリ当てるところが、さすがである。当日、別のイベントで来ていた古谷剛彦さんに道営からの転入馬の成績を尋ねるなど、最後までしつこいところが「いかにも」という感じがする。

 ちなみに筆者は当日中継の解説があり、大井競馬場にはおらず、惜しくもこのイベントを観ることが出来なかった。残念。

 予想の方も◎の1番人気ラクテが、引っ掛かり気味の13番人気フォクスホールに絡まれ、レースは12.5-12.0-12.4-12.0-12.0と厳しいラップが続くハイペースとなり直線失速。1、2着の道営から転入初戦の3番人気トロヴァオ、2番人気グランユニヴェールにも印はまわっていたのだが、ラクテ中心の買い目が裏目に出てしまった。

 まだまだ、である。