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第87回 オリンピックとあの頃の競馬に、歩んで来た時間を思う。

2022.02.25
 時差がほとんど無い状態で観戦することができた北京オリンピック。世界のアスリートたちが繰り出すトップレベルの技に魅了された2週間は、ほんの一瞬の中の機微を感じ、時にはやるせない結果に言葉を失い再起を願う・・・そんな日々でもありました。
 競技を見ていてふと気になったのが、選手たちの生年月日。つい、競馬ではあの馬が活躍していた頃かな?などと思い、観戦した競技を中心に少し調べてみました。

 まずは、男子フィギュアスケートで銀メダルに輝いた鍵山優真選手。生年月日は2003年5月5日。 この日は高崎競馬場で群馬記念が行われ、マイネルブライアン(JRA)が藤田伸二騎手で勝った日でした。5月5日なので、船橋競馬場でかしわ記念が行われた日かな?と思ったのですが、この年のかしわ記念は6月4日。勝ち馬は、福永祐一騎手騎乗のスターリングローズ(JRA)。この年の日本ダービーの勝ち馬はネオユニヴァースで、鞍上はミルコ・デムーロ騎手。日本の競馬史上初めて、外国人騎手による日本ダービー優勝というメモリアルレースにもなりました。東京ダービーでナイキアディライトが石崎隆之騎手を背に優勝したのもこの年でした。

 男子フィギュアスケートで銅メダルを獲得した宇野昌磨選手は、1997年12月17日生まれ。1997年はエアグルーヴの存在が輝いた年。武豊騎手とのコンビで、牝馬として17年ぶりに秋の天皇賞を制するなどの活躍を見せ、1971年のトウメイ以来26年ぶりに牝馬の年度代表馬となりました。女王のバトンを渡したかのように、トウメイが亡くなったのもこの年のこと。12月8日には門別競馬場が完成。この年の有馬記念の勝ち馬は藤田伸二騎手騎乗のシルクジャスティス。南関東競馬では、東海ウインターステークス(中京競馬場)で優勝したアブクマポーロの存在感が、どんどん大きくなって来た頃でした。

 今回のオリンピックでも圧倒的な存在感を示した羽生結弦選手は1994年12月7日生まれ。この年は短期騎手免許制度がスタート。ナリタブライアンの三冠に沸いたのも、この年でした。

 男子ジャンプノーマルヒルで金メダルを獲得した小林稜侑選手は1998年11月8日生まれ。この年の日本ダービーの優勝馬は音速の貴公子・フサイチコンコルド(藤田伸二騎手)。11月3日に行われた菊花賞では、ダンスインザダークが武豊騎手を背に1番人気に応えて勝利しました。年末の東京大賞典の勝ち馬はアブクマポーロ。この東京大賞典の日には、先日28歳で亡くなった、日本の競馬史上初めて白毛馬として勝ち星をあげたハクホウクンも走っていました(8R 3着)。

 「あぁ、あの日!」と思ったのは、スノーボード男子ハーフパイプで見事金メダルを獲得した平野歩夢選手が生まれた1998年11月29日。この日はジャパンカップでエルコンドルパサーが蛯名正義騎手を背に、先頭でゴールした日でした。

 こうして、競馬と照らし合わせると、それぞれの選手が歩んで来た時間が自分の記憶の中の時間と重なり、あれからずっとずっと、たくさん練習して来たんだな、支えて来た人がいるんだな・・・と、ふと胸が熱くなりました。それは、アスリートでもある競走馬を見る時の気持ちに似ていて、相手が過ごした時間を思うことで、その存在が大切に思えてくるような・・・。

 演技や競技をする姿を観て、良い結果を願う、成功を祈る。例えば、その選手がメダルを獲ったとしても、新記録を出したとしても、自分には直接の利益はないけれど、応援したくなる。心が震えるような気持ちになる。それはきっと、その選手から、何かを受け取っているからなのだろうと思いました。伝わって来るものがあったのだと。

 競馬には「馬券」が存在するので、オリンピックとは単純に比べられない面もありますが、馬自身の頑張りの傍らに、たくさんの人の労力や思いが注がれていること、心に届く何かがあるという部分は、通ずるように思いました。

 その北京オリンピックが閉幕した日、東京競馬場では冬の終わりを告げるレース、フェブラリーステークス(GI)が行われました。競馬場ではどうしても、お気に入りの場所・エリアに通いがち。今回、これまであまり行かなかったエリアの指定席を確保したところ、「ここからはこんな景色が見られるんだな」という発見がありました。
 
 第87回 オリンピックとあの頃の競馬に、歩んで来た時間を思う。の画像 南関東競馬では大規模リニューアル工事中の船橋競馬場で、新スタンドAがオープン。広いテラスエリアから見える新しい景色を、多くの皆さんが楽しめる春となりますように。

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