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第124回 船橋競馬場と共に歩んだ道 岡林光浩調教師勇退

2025.03.25

 3月14日、岡林光浩調教師の引退セレモニーが行われました。船橋競馬場で育ち、多くの活躍馬を手掛けた岡林調教師。厩舎成績は3月24日時点で地方競馬通算8117戦1284勝、JRA4勝。2001年にはマキバスナイパーで帝王賞を制するなど地方競馬では重賞30勝をマーク。JRAにも積極的に参戦し、2002年にはヒミツヘイキ(左海誠二騎手)でダート重賞・ユニコーンステークス(GIII)の優勝も果たしました。NARグランプリ2011では最優秀賞金収得調教師賞を受賞。数々の功績を残しました。

 また、渡邊貴光調教師、張田京調教師、故左海誠二調教師、田中力調教師、そして先日調教師試験合格が発表された石﨑駿騎手(4月1日付で調教師免許交付)と、所属騎手・厩舎スタッフから多くの調教師を輩出している名門としての存在も光ります。

 岡林厩舎の公式サイトに約10年間携わった中で、船橋競馬場の昔話を伺ったこともありました。語り継ぎたい貴重な内容も多々。その中からいくつかピックアップしてみました。

 「競馬場の南側、今は高速道路や工場が建っている場所は海だった。今では想像できないでしょう。厩舎のすぐそばに海岸がありましたよ」と、これは思わず地図を広げたくなる話。「海水で馬の脚を冷やしたり、海岸で調教したり。延縄(はえなわ)を仕掛けてウナギも獲れたし、潮干狩りではアサリ。そういうのをみんな楽しみにしていて、年中海で遊んでいましたよ。松林に秘密基地を作ったりしてね」とのこと。今から60年ほど前の風景です。

 これを聞けば、向こう正面の厩舎地区を「海岸厩舎」と呼ぶ理由もわかります。今は厩舎が並ぶ第4コーナーの東側(習志野市)は一面の田んぼだったそう。窪地のような地形で「ライギョも獲れたんだ」と懐かしそう。その頃の船橋競馬場の暮らしは、水辺と大きく関わっていたのですね。

 父で調教師だった喜和さんのもと、厩務員として働いていた頃は入厩してくる馬も今とは随分違っていたそうで「育成場という制度がなかったからね。今みたいにすぐレースに出られる状態で入厩なんていうのはなかった。馴致されていない馬が来るのが当たり前。調教師になった頃かな、育成場ができはじめたのは」(岡林調教師)。そういえば、コースの内側に馴致用の馬場があったと耳にしたことがありました。

 1988年の厩舎開業当時は自らと厩務員、わずか2人でのスタート。「あの頃は新規の厩舎に割り当てられる馬房は5つ。だから勝ち星を増やすのは大変でしたね」とのこと。そこからコツコツと勝利を重ね、2017年6月には大きな目標だった地方通算1000勝を達成しました。

 話を伺っていると、岡林調教師にとって船橋競馬場は職場であり、家族と共に過ごした大切な場所であるということが伝わってきました。だからこそ、より良くするための尽力を惜しまず、場内設備の改善やハートビートナイターの通年開催など、さまざまな働きかけをしてきたのでしょう。

 

 引退セレモニーでは「37年間あっという間。多くの優秀な馬、優秀な人材に恵まれたのが僕の37年間の調教師人生でした。全般を見渡すと楽しく過ごせたと思います。ありがとうございました」と、関わった人馬への感謝の言葉を述べた岡林調教師。セレモニーには遠方からもたくさんの方が駆け付け、岡林光浩厩舎が積み重ねた時間を思わせる、笑顔あり涙ありの素晴らしいひとときでした。終了後も、岡林調教師を囲む人の輪はほどけることが無く・・・。

 何度も取材で通った岡林厩舎は、四季折々の花が咲き、訪れた人へのおもてなしを感じる場所でもありました。勇退を聞いて挨拶に伺った際に「管理馬の産駒の口取り撮影でお目にかかれそうですね」と言うと「そういうのには行かないの(笑)」と、シャイな岡林調教師らしいお返事をいただきました。とはいえ、きっと、近い未来に。やわらかな笑顔で競馬場に立つお姿に会える日を楽しみにしています。

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