南関フリーウェイ
第123回 大井の帝王・的場文男騎手引退
2月14日、大井の帝王・的場文男騎手の引退が発表されました。3月31日付とのこと。いつか来る日だと分かってはいても、いざ決まってしまうとやはり寂しい気持ちになります。
的場騎手といえば、多くの偉業と共に東京ダービー2着10回という勝負の世界の厳しさを語る数字が思い浮かびます。あと少し、もう少し・・・ついに叶わなかった“東京ダービーでの先頭ゴール”。
その悲願を凝縮したかのような「ダービー優勝は人生の宿題」という言葉が印象的だったのは、9度目の2着となった2015年パーティメーカー(浦和 小久保厩舎)でのことでした。優勝馬・ラッキープリンス(浦和 小久保厩舎)とは3/4馬身差。
当時の的場騎手の様子は今でもよく覚えています。砂まみれのまま、聞き取りやすい声、テンポの良い口調。その中から一部を文字起こししてみました。
「負けたからちょっと疲れてますね。勝ちを味わいたいけどもう無理だね、この年(当時58歳)だから。だけど頑張ってます!!取りあえず2着9回の記録。記録って言っても残念な記録ばっかりだよ。勝負の世界は厳しいなぁ。このダービーだけはホント勝ちにくい。でも帝王賞は3回勝ってる。ハシルショウグン(1993年)、コンサートボーイ(1997年)、ボンネビルレコード(2007年)。あんなに勝つのが難しいレースなのに。ダービーの方が勝てそうなんだけど9回も2着。ダービーは宿題だね。俺の人生の宿題。できないかもしれない。できないで死んでいくかもしれない。年だから。そんなかんじです!」

あの時、ドライヴシャフト(大井 荒山厩舎)に騎乗した元大井所属・内田博幸騎手(JRA)が「2着っていうことはまだ騎手を辞めるなよって競馬の神様が言ってるんですよ」と話していましたっけ。
10回目の東京ダービー2着は2018年のクリスタルシルバー(大井 村上厩舎)。この時はクビ差でした。
大きな節目となった通算7000勝は2017年5月、川崎マイラーズで騎乗したリアライズリンクス(浦和 小久保厩舎)。「フミオ、頼むぞ!」「行け!マトバ!」という声援。それは、同志に向ける祈りや願いに似た熱を含んでいました。当時のことは「第30回 『目標があるから頑張れる』帝王・的場文男騎手 地方通算7000勝達成」で書かせていただきました。的場騎手の人柄が伝わるコメント、お時間があればご覧ください。
思い起こせば、ちょっとした仕草からもファンに愛される理由が垣間見られた的場騎手。船橋競馬場でハートビートナイターがスタートした際の取材では「こっちに立った方が馬の表情も写りやすいでしょう?」と自ら立ち位置を提案、馬に手を添えてニコっと笑顔。こういうチャーミングな一面もファンを魅了して止まない理由なのだろうと、あの時、じわりと心に沁みるものがありました。
そんな的場騎手の騎手人生51年5か月を、社会的な出来事と併せて振り返ってみると「大河のような歳月」を感じずにはいられません。
デビューした1973年(昭和48)、芸能界では昭和のアイドル・キャンディーズがデビュー。当時、家庭においての固定電話の普及率は3割から4割ほどだったとのこと。また、この年は前年に大井でデビューしたハイセイコーが、中央競馬に移籍した年でもありました。
初重賞制覇は1977年。この年のレコード大賞は沢田研二さんの「勝手にしやがれ」。帝王賞をコンサートボーイで勝利して交流GI初勝利を挙げた1997年は“ジョホールバルの歓喜”、サッカー日本代表がFIFAワールドカップの初出場を決めた年。
ソウル競馬場でトーセンアーチャーに騎乗、海外初勝利を挙げた2013年の流行語大賞は「今でしょ!」「倍返し」など。佐々木竹見さんの記録・7151勝を抜いた2018年は、平昌五輪でフィギュア・羽生結弦選手が連覇達成。そして2025年引退の年。手元のスマートフォンで競馬が楽しめる時代になりました。
「目標があるから頑張れる」「人生の宿題」など、その時々で心に響く名言を残してきた的場騎手。その言葉の数々はどこか哲学的であり、人生の先輩からの大切なメッセージでもあったのだと、改めてその存在の大きさを感じています。レースから戻り、ぴょんと軽やかに馬から降りる勇姿も懐かしい。 的場文男騎手、ありがとうございました。お疲れ様でした。