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第122回 内馬場に歴史と個性あり

2025.01.27

 昨年末、「京都検定」を受験しました。以前から受けてみたいと考えていたのですが、テキストを買ったまま放置。あれから数年、あのCMのように「そうだ、京都検定受けてみよう」と思い立ち、隙間時間に勉強を重ねていました。出題範囲は歴史のみならず、地理や、観光、文化などから幅広く、その奥深さにクラクラ、わくわくしながらの学習。YouTubeや地図アプリでの情報収集など、今どきの学習方法も取り入れてみました。

 京都競馬場の内馬場にある池の歴史を知ったのも、勉強中でのこと。かつて、京都市の南(競馬場の南)には「巨椋池(おぐらいけ)」という大きな池が存在していたそうです。池は昭和16(1941)年、干拓によって消滅。現在は田畑や住宅地となっています。その巨椋池の名残が、京都競馬場・内馬場にある池、とのこと。

 思い起こせば高校時代、古文の教科書に載っている古地図を眺めては、こんなに大きな池が無いのはなぜだろう?と不思議に思っていました。先生に尋ねたこともありましたが、唐突過ぎたのか明確な答えは無いまま。まさか、大人になってから何度も目にしているあの池がその名残だったとは・・・先生に詰め寄っていたあの日の私に教えてあげたい。巨椋池があった辺りには、向島(むこうじま)・槙島(まきしま)など「島」が付く地名も見られ、池の存在を今に伝えています。

 歴史繋がりの内馬場といえば、東京競馬場にある「井田摂津守是政(いだせっつのかみこれまさ)」のお墓。3,4コーナーの中間付近にあり、鎌倉・室町時代の板碑が出土するなど、歴史的にも貴重な場として東京都の旧跡に指定されているそうです。ちなみに、大ケヤキと呼ばれていますが、実際は榎(エノキ)とのこと。これらを含めて歴史ロマンを感じます。

 内馬場については、船橋競馬場で興味深いエピソードを耳にしたこともありました。昭和40年代、海岸厩舎(向う正面にある)と呼ばれる厩舎地区に住む子供たちは、コースと内馬場を横断して登下校していたとのこと。それは開催中も同様で、レースの合間を縫って通行していたそうです。

 もちろん、係員の指導のもとでの“横断”だったそうですが、おおらかな、時代の色彩を感じるエピソードと言えるでしょう。コースを横断して草が生えている内馬場に入った辺りで、昆虫や花など子供にとってふと興味を惹かれるものを見つけたとしても、きっとそこはぐっと我慢して、急ぎ足で対岸に向かったのではないでしょうか。「後でまた見に行ってみよう」などと思ったりしながら。

 そんな昭和の中頃には、子供たちが競走馬の運動を手伝うこともあったそう。ダートコースで砂山を作って叱られた、スタンドの通路でローラースケートをして遊んだなど、ふと懐かしい気持ちになる話を聞いたこともありました。

 

 内馬場の話に戻りましょう。改修前の船橋競馬場では、構造上の理由で、装鞍所と厩舎の往復時、コースを横断して内馬場を経由するルートも使用されていました(掲載写真参照)。レースの合間に通行するため、発走時刻変更時の対応や、設置物に対する馬たちの反応への配慮も必要だったとのこと。改修後は厩舎から装鞍所への直行ルートになっており、以前のような苦労は無くなったと聞いています。

 内馬場の歴史や風景は競馬場によって個性いろいろ。南関東4場だけでも、大井競馬場や川崎競馬場はイベント会場や公園などとして親しまれ、船橋競馬場はソーラーパネルで全国初の競馬場での発電を実施中。浦和競馬場は非開催時に「浦和記念公園」として地元の皆さんの憩いの場になるなど、多種多様な表情を持っています。

 その中で、福島競馬場の内馬場にある庭園に感動したのは昨年夏のこと。バラを中心に、風に揺れる草花が多数植えられ、それはもう「うわぁ♪」となってしまうほどの素敵なイングリッシュガーデン!猛暑続きの中で、あの美しい花を咲かせるには相当な労力と愛情が注がれているのではと推察しました。今年もぜひ訪れたい場所のひとつです。

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