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第67回 藤田騎手の引退に思うこと~技術者の才能・経験を生かした現場に~

2015.10.21
 もうすっかり秋ですね~。何だか夏のローカル開催が、随分前に行われていた気がします。年々、時間の流れを早く感じ、物事をジックリと考えたり、立ち止まって何かと向き合うことが少なくなっている気がします。
 特に子供を出産してからは、育児に家事に仕事にと毎日がバタバタで、気づけば深夜というパターン。心のどこかで自分に対しては、(し直したい勉強や、中途半端になっている英語を何とかしなければなぁ~)と思いますし、競馬においては、時代とともに変わりゆく状況を寂しく感じ、昔に戻ってほしい点や変化を求めたいと切望することも。

 この夏に鞭を置かれた藤田伸二騎手のこともそう。まだまだこれからと思える43歳という年齢と、2,000勝近い勝利を挙げた実績ある騎手の引退は、突然と言うよりも、栗東から札幌へと住む場所を移したあたりから、この日が来るのは遠くないなぁ~と感じていらっしゃった方も多かった気がします。

 最後の数年は、前例のない、調教に出ないで競馬に乗ることに対し批難の声もありましたが、私が競馬学校に入学し、トレセンで生活をするようになった頃の藤田騎手と言えば、毎朝の調教を大事にされ、馬上での厩舎スタッフとの会話や交流を最も大切にされていたイメージがあります。坂路に向かう逍遥馬道や角馬場での藤田騎手のまわりは、いつも笑い声やお喋りが絶えず、騎乗する厩舎の一員となっていた印象。

 もっとさかのぼれば、師匠である境直行厩舎からデビューした際には、スタッフ皆が、「伸二を乗せてくれ、乗せてやってくれ。乗れる子だから」と、他厩舎の同僚や調教師に声をかけるほど愛され、所属厩舎一丸となって藤田騎手をバックアップ。それほど愛され、信頼されていました。

 そしてレースで勝った際は、担当者からの、「伸二、ありがとうな」の声。

 「おめでとう」「おめでとうございます」「ありがとう」「ありがとうございます」ではなく、「ありがとうな」の言葉。

 今では滅多に耳にしなくなったこのフレーズ、そこに騎手と厩舎との現状、距離感の全てが現れている気がします。

 引退の際、自身のHPでエージェント制度の導入による現状や、それに伴う意欲の薄れ、危惧する点を記載されていましたが、最後の選択は、馬作りという作業を大事にされてきた方だからこそ、現場に息苦しさを感じ栗東を離れた気もします。

 これは藤田騎手だけでなく、数々のGⅠ馬を育て上げた調教師の中にも、「牧場から帰厩しての10日競馬が主流となりつつある現状は、馬の息遣いと相談しながら競馬へともっていく過程が失われる。それは馬も育てられなければ、人も育っていかない」と話され、定年を前に引退された方も...。そしてその一方では、トレセンに入る時点で調教師を目指す若者も多くなり、厩務員や持ち乗り助手を経験せずに、すぐさま調教助手となり、調教の合間も試験勉強に励む姿を多く目にします。

 馬を見ず、馬と対話をせず、教科書ばかり。結果、30歳ソコソコという年齢で開業となっても、馬のケアや精神面との対話を繰り返しながら、重賞馬を送りだすなどの実績を積み上げていない状態では、スタッフの師となることもなければ、対等に話し合うことのできない牧場・オーナーとの関係性により、ますます現場での馬作りがなされない状況に発展している傾向にある気がします。

 この9月、JRAは騎手のエージェント名を公表し、ルールに反した者へのペナルティーを課すなど、対応策に乗り出しましたが、これと共に、新しく誕生する調教師においても、目に見える試験の成績だけでなく、どんな馬を作ってきたのか?育ててきたのか?その実績や歩みを考慮することも組み込まれれば、牧場・オーナーとの関係性の改善や、真の意味での現場での馬作りにも繋がり、結果、人が育成され、将来の財産となり、発展へと繋がっていく気がします。

 騎手においても調教師においても、根本は技術職。その技術者たちが引退を余儀なくされる状況ではなく、その才能と経験を活かせる現場にしなければ、馬のポテンシャルに現場で働く人がついていけず、歴史もある海外ホースマンとの格差は、より広がっていく気がします。

 皆さんは、いかがお考えですか?
 それでは、また来月お逢いしましょう。
 ホソジュンでしたぁ。
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