ホソジュンのウマなりトーク
第99回 セクハラ・パワハラ問題~男性社会で経験してきた目線を~
2018.06.18
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女子の好きなことの1つが占い。私も20代は、凄く当たるという噂を耳にすれば、全国の至る所に足を運び、見てもらったことも。まぁそれだけ我が騎手時代は、自分の行く先に多大な不安を抱えていたと、往時を思い出します。
また少し占いとは違うのかもしれませんが、予知する能力や言葉ではない感覚を掴める能力というのは、文明が発達する前の人たちは持っていたのではないかと感じることがありますし、現代においても、そういった方はいらっしゃるように思えます。
私のまわりにも、敏感にいろいろなことを察知されているなぁ~と思われる方々がおり、その方々が、口を揃えて、「ホソエちゃんの今年2018年は、今までと違う人に出会う年になるね。変わるよ」と。
また私自身も5年前あたりから根拠はないのですが、2018年が、どちらに転ぶかわからないながらも変化のある年になるのではないかと感じていたところも...。
そして今年も半分が過ぎたわけですが、実際にどうなのか?と答え合わせをしてみると、本当に、その方々の言葉通りなのです。
例えば、東京に本社を置き、全国規模でEC事業や専門コンサルタント事業を行っている企業から連絡があり、現在、地方再生や新たな分野での仕事も展開中となりましたし、競馬アニメでは声優にもチャレンジ。
また先々月号でも書きましたが、監修も体験し、今まで出会うことのなかった方々との出会いがありました。
また騎手引退直後に小学館からの依頼で、自分の経験とファンタジーを融合させた騎手物語の短編小説を文芸ポストに書いたことがあるのですが、あれから15年、当時の担当だった方が編集長となり、お会いしたいとの連絡が。なんと、この15年間の私の歩みを見ていて下さっていたようで、「競馬人であると同時に世間とも繋がった女性だと思う」と言葉をかけてもらえ、20年前の今よりも閉鎖的でより男社会であった時代を生きてきた道のりと、今もなお繋がり生きている視点、そして母となり抱えている育児など、現代の世の女性に発信できることがあるのではないか?そういった切り口で、本を出版してみては?とのお声掛けも。
確かに今の日本は多くの女性が社会に進出し、それにともなってセクハラやパワハラ問題が取り沙汰される状況。編集長の言葉に客観的に自分の歩みを振り返ってみると、たしかに当時の泣いてばかりの日々や、何か物を食べていないと不安な状況に陥ってしまった精神状態、人と会うことや人の視線、話し声が怖くなってしまった過去の全てが、特殊な男性社会だったからこそ体験してきたことだと納得できますし、今であれば、それぞれの行動や心の葛藤に病名をつけることも可能。また、他人の行為に「それはセクハラですよ、パワハラですよ」と声をあげることもできたかもしれないな...と。
しかしその一方で思うことは、相手となる男性側も、男社会に1人飛び込んできた女の子に対し、慣れていない状況だからこそ、どう接していいのか?手探り的なところもあったと思えます。
よって、読めない空気感や違和感といった中で、自分なりの対処、対応を見いだしてきたわけですが、相手ではなく、自分自身が変化していくことで、新たな関係性が築かれ、それが繋がっての今が存在しているようにも。
また現在4歳となる男の子を育てていく過程で理解できたことは、男と女は同じ人間ではあるけれども、生物学的にまるで違う生き物であるということを認識します。これは、幼稚園での行動やお迎えの際の姿をみれば一目瞭然。だからこそ「なんで」というお互いの理論でぶつかっては、どこまでいっても平行線なのではないかと母となった今は解釈しています。
となると理想は、お互いの着地点を見いだし、よりよい共存を目指すことが、ジェンダー的問題解決の近道ではないかと思っているところも...。
少し偏った話となってしまいましたが、皆さんは、どう思われ感じていらっしゃいますか?
それでは、また来月お目にかかりましょう。
ホソジュンでしたぁ。
また少し占いとは違うのかもしれませんが、予知する能力や言葉ではない感覚を掴める能力というのは、文明が発達する前の人たちは持っていたのではないかと感じることがありますし、現代においても、そういった方はいらっしゃるように思えます。
私のまわりにも、敏感にいろいろなことを察知されているなぁ~と思われる方々がおり、その方々が、口を揃えて、「ホソエちゃんの今年2018年は、今までと違う人に出会う年になるね。変わるよ」と。
また私自身も5年前あたりから根拠はないのですが、2018年が、どちらに転ぶかわからないながらも変化のある年になるのではないかと感じていたところも...。
そして今年も半分が過ぎたわけですが、実際にどうなのか?と答え合わせをしてみると、本当に、その方々の言葉通りなのです。
例えば、東京に本社を置き、全国規模でEC事業や専門コンサルタント事業を行っている企業から連絡があり、現在、地方再生や新たな分野での仕事も展開中となりましたし、競馬アニメでは声優にもチャレンジ。
また先々月号でも書きましたが、監修も体験し、今まで出会うことのなかった方々との出会いがありました。
また騎手引退直後に小学館からの依頼で、自分の経験とファンタジーを融合させた騎手物語の短編小説を文芸ポストに書いたことがあるのですが、あれから15年、当時の担当だった方が編集長となり、お会いしたいとの連絡が。なんと、この15年間の私の歩みを見ていて下さっていたようで、「競馬人であると同時に世間とも繋がった女性だと思う」と言葉をかけてもらえ、20年前の今よりも閉鎖的でより男社会であった時代を生きてきた道のりと、今もなお繋がり生きている視点、そして母となり抱えている育児など、現代の世の女性に発信できることがあるのではないか?そういった切り口で、本を出版してみては?とのお声掛けも。
確かに今の日本は多くの女性が社会に進出し、それにともなってセクハラやパワハラ問題が取り沙汰される状況。編集長の言葉に客観的に自分の歩みを振り返ってみると、たしかに当時の泣いてばかりの日々や、何か物を食べていないと不安な状況に陥ってしまった精神状態、人と会うことや人の視線、話し声が怖くなってしまった過去の全てが、特殊な男性社会だったからこそ体験してきたことだと納得できますし、今であれば、それぞれの行動や心の葛藤に病名をつけることも可能。また、他人の行為に「それはセクハラですよ、パワハラですよ」と声をあげることもできたかもしれないな...と。
しかしその一方で思うことは、相手となる男性側も、男社会に1人飛び込んできた女の子に対し、慣れていない状況だからこそ、どう接していいのか?手探り的なところもあったと思えます。
よって、読めない空気感や違和感といった中で、自分なりの対処、対応を見いだしてきたわけですが、相手ではなく、自分自身が変化していくことで、新たな関係性が築かれ、それが繋がっての今が存在しているようにも。
また現在4歳となる男の子を育てていく過程で理解できたことは、男と女は同じ人間ではあるけれども、生物学的にまるで違う生き物であるということを認識します。これは、幼稚園での行動やお迎えの際の姿をみれば一目瞭然。だからこそ「なんで」というお互いの理論でぶつかっては、どこまでいっても平行線なのではないかと母となった今は解釈しています。
となると理想は、お互いの着地点を見いだし、よりよい共存を目指すことが、ジェンダー的問題解決の近道ではないかと思っているところも...。
少し偏った話となってしまいましたが、皆さんは、どう思われ感じていらっしゃいますか?
それでは、また来月お目にかかりましょう。
ホソジュンでしたぁ。