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第3回 馬がいて人がいる

2009.03.01
 NARグランプリ2008が今年も盛大に執り行われた。今回から全国公営競馬専門紙協会選出の選定委員を委嘱されたので,会見場での密談を控え,式典に参加して祝った。胸に花を付けているので素直に役割を果たした。とはいえ,一応記者だし,ちょっとだけ会見を眺めた。その合間,既知の競馬関係者と雑談した折り,「地方競馬は全国免許なんだから,もっとフリーに乗せてもいいだろう」というような事を言われた。
 実際のところどこの主催者も,2年くらい前からは騎乗に関してかなり柔軟に対応している。たとえば南関東でも,地区重賞に吉田稔騎手や,真島正徳騎手などが騎乗している。トップジョッキーだけとは限らず,たとえば昨年の道営記念には大井の達城龍次騎手が騎乗している。2007年の1月27日付けで,『他地区所属騎手は,南関東地区で行われる重賞競走に騎乗することができる』と改正されたからだ。指定交流や,地方交流は所属の馬にしか騎乗できないが,重賞当日は重賞を含め,最大4鞍まで騎乗できるおまけ付きだ。

 また,2006年から他地区の所属騎手が期間限定で騎乗する制度もあり,だいぶ定着してきた。

 一昨年から,それまでの2500勝から2000勝に緩和され,機会が広がった。(北海道所属の騎手は通算1000勝以上1999勝未満の騎手の中から1名のみ申請ができる)各競馬場で1年に1名,最大2か月以内で,それは当初から変わりはない。

 同様の制度は,ばんえい以外の全ての平地競馬場で行われており,地方競馬全国協会のホームページにも各場の基準が掲載されている。

 制度化されたのは最近だが,短期移籍のような形は以前からあった。たとえば大井の川本裕達騎手は騎乗機会を求め(武者修行的に)1999年に新潟県競馬に移籍し,2000年の新潟皐月賞を制しているし,制度化後も船橋の本橋騎手,濱田騎手等が高知で騎乗。トップジョッキーだけではなく,こうした若手,中堅クラスの騎手が腕を磨くために移籍することも珍しくはなくなった。中央競馬ならローカル開催がそういう場なのだろうが,南関東だと各競馬場の上位騎手が相互に騎乗出来るため,騎乗機会に恵まれない騎手が多い。乗り役が手薄な地区に期間限定移籍し,騎乗機会を得て腕を磨く。受け入れる側もレースや調教で騎乗出来る(一時とはいえ)人材が得られる。

 完全移籍に関しては,特にベテランやトップジョッキーに関しては今なお壁が高く,今後もまず有り得ないとは思われるが,今のままでもつい数年前に比べれば,大きな進歩といえる。もちろん,内田利雄騎手のように,全国の地方競馬のみならず,マカオや釜山まで,それこそ「鞭一本」で渡り歩く騎手もあっていい。ただ,宇都宮廃止と言うやむを得ない事情がきっかけだし,内田利雄騎手だからこそ出来る事じゃないかと思う。

 あとは中央と地方間か。大井から高知へ,と同様に,中央の若手騎手が騎乗機会を求めて地方競馬で乗るのもおかしくはない。その逆は,試験勉強さえすれば(一応は)行けるし,内田博幸騎手や,岩田康誠騎手のように里帰り騎乗も出来る。

 説明が長くなったが,件の関係者はその事をあまりご存じなかったようではある。南関東絡みをざっと挙げても40行あまり要する。もちろん件の関係者は「完全開放」を望んでいるのだろうが,「調教とレースはセット」という厩舎も多く,自分も厩舎を回ったり,調教を見て強くそう思う。毎朝辛抱強く調教を続けた馬でレースに出る,あわよくば勝つという姿を見ると,古臭い考えなのかもしれないが,やっぱりそれが理想なんじゃないかと思う。交流競走黎明期,船橋の石崎隆之騎手は「自分の作った馬で中央のレースに勝ちたい」と言っていた。そして,アブクマポーロで東海ウィンターステークスに勝利し歓喜した。メイセイオペラも菅原勲騎手だったからこそ,感動を得られた。一方で,乗り替りによりファンの共感を失った馬も。やはり,競馬は『馬がいて人がいる』のではないだろうか。人の開放よりまず先に(地方間の)馬の出走がもっと開放されるべきだ。それが難しいことは十分承知してはいるが。


JBBA NEWS 2009年3月号より転載
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