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第97回 『さらばホッコータルマエ』

2017.01.11
 別れは突然だった。2016年11月29日、ホッコータルマエは週末に行われるGⅠチャンピオンズカップへ向けての調教後、右前脚に跛行がみられ、検査の結果骨には異常は見られなかったものの、陣営は大事を取って予定されていたラスト2戦を取りやめて引退、種牡馬入りを決めた。'ラストラン'の東京大賞典のレース後に大井競馬場で予定されていた引退式もキャンセルに。
 日本初のGⅠ(Jpn)レース10勝馬は、ファンに別れを告げることなく、競馬場を去ることになった。

 デビュー戦は11番人気11着。勝ち馬はガンジス。クラシック路線に乗るようないわゆる'エリート'ではなかったかもしれないが、現役は一貫してダート路線を歩み、傑出した成績を残したのだから、'ダート界のエリート'であったことは間違いない。

 初勝利は2戦目。9番人気で勝った。2勝目は5戦目。距離が延びてこの馬の本領が発揮されつつあった。

 重賞初挑戦は大井のジャパンダートダービー。勝負どころでハタノヴァンクールと一緒に進出するが、直線で一気に引き離されて5着。

 重賞初勝利は次のレパードS。ナムラビクターの追撃をクビ差しのぎ切った。その後順調に勝ち星を重ね、GⅠ(Jpn)初制覇のチャンスがきた。

 GⅠ(Jpn)初勝利は2013年のかしわ記念。ローマンレジェンド、そして後にGⅠ(Jpn)競走9勝を挙げるエスポワールシチーを下しての勝利。ホッコータルマエのGⅠ(Jpn)レース10勝は奇しくもここからスタートした。

 この馬のピークは2013年の佐賀記念から金沢JBCクラシックまでの7連続連対か。ジャパンカップダート3着を挟み、その後の東京大賞典、からフェブラリーSまで再び快進撃を続ける。

 そしてドバイワールドカップ。日本のダート馬はスピード面で厳しいことは、もはや常識に近いが、それでも3年連続で挑戦し続けた。

 初年度は西浦調教師が「あらゆる面で経験が足りなかった」と振り返る16着惨敗。そして前年の反省を踏まえた翌2015年は5着の大健闘。さらに上を目指し臨んだ2016年は9着に終わり、夢を果たせぬまま、その挑戦を終えた。

 ダートの王者として君臨するホッコータルマエがなかなか手にすることが出来なかったのが、JRAGⅠのタイトルであった。ジャパンカップダートは2年連続3着、フェブラリーSは2着とあともう一歩のレースが続く。

 転機となったのはチャンピオンズカップの創設。左回りの中京1800mに舞台が移った2014年。逃げるクリノスターオーの2番手から抜け出し、迫るナムラビクターを半馬身抑え切り、悲願のJRAGⅠ制覇を成し遂げている。

 2015年の帝王賞でエスポワールシチー、ヴァーミリアンに並ぶGⅠ(Jpn)9勝目を挙げたが、コパノリッキーやサウンドトゥルーの台頭もあり、GⅠ(Jpn)10勝の壁はなかなか崩せなかった。記録達成は明けて2016年の川崎記念。同レース3連覇でついに記録を達成。結果的にこれが最後の勝利でもあった。

 最後のレースとなったJBCクラシックの翌週に地方競馬中継内のコーナーで、レース回顧の機会を得た。勝ったアウォーディー(USA)はもちろんだが、印象に残ったシーンとして、ホッコータルマエの名を挙げた。このところ先を行くコパノリッキーを必死に追走するシーンが目立ったが、この日は抜群のスタートを切り、押して行ったサミットストーンを行かせて2番手の積極策。向正面に入り、外からコパノリッキーとアウォーディーが差を詰めるのを見て、一気に先頭に立つ。川崎のビジョンの前からだから、800mのロングスパートである。

 残り400mでアウォーディーに並ばれ、そして200mで交わされ、惜しくも2着に敗れたが、そのレースぶりはまさしく'王者の走り'だった。それだけに突然の引退は惜しくもあり、またラストランを見届けられたことを幸運に思う。

 優駿スタリオンステーションで種牡馬入りが決まっているが、いつ輸送するかは、今のところ負傷箇所との相談とのこと。ダートで活躍した馬の種牡馬生活は正直厳しいが、最近はカネヒキリのように100頭以上の繁殖を集める人気種牡馬も現れてきた。そしてサンデーサイレンス(USA)の血が入っていないのは大きな武器になるだろう。

 最後にその勇姿を見られなかったことは残念だが、ホッコータルマエの今後の活躍を祈っている。
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