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第133回 『強い馬づくり』

2020.01.27
 2019年で39回目を迎えたジャパンカップ。ついに外国馬の参戦が「ゼロ」となってしまった。
 「世界に通用する強い馬づくり」を掲げ、1981年に国際招待競走として創設され、アメリカ3頭、カナダ3頭、インド1頭、トルコ1頭(来日後故障し出走出来なかった)が参戦。迎え撃つ日本勢は、天皇賞(秋)1~3着馬ホウヨウボーイ、モンテプリンス、ゴールドスペンサーなど、古馬のトップクラスが参戦。当時世界でも屈指の1着賞金6,500万円だったが、初年は手探り状態で、外国馬の出走はGⅠサンタバーバラHに勝ち、ワシントンDCインターナショナル2着のザベリワンThe Very One(USA)(アメリカ)が目玉。

 しかし結果は衝撃的だった。サクラシンゲキが1000m57秒8のハイペースで飛ばすが、それを難なく追走し交わすカナダのフロストキング(Frost King(CAN))。それを外から伸びて叩き合いを制したのがC・アスムッセン騎手が乗るアメリカの5歳牝馬メアジードーツ(Mairzy Doates(USA))。GⅡのマッチメーカーHなどGⅡ、GⅢを4勝した程度の実績であったが、それが2分25秒3、当時の日本レコードを0秒5、コースレコードを1秒更新する、驚異的なタイムで制したのだから、当時の競馬関係者やファンには相当衝撃的であったであろうことは、想像に難くない。当時の新聞や記念誌にも書かれた「(日本馬は)永遠に勝てないのではないか」という有名なフレーズが端的に表している。

 それから39年、日本馬は強くなり、ジャパンカップは2005年のアルカセット(USA)(英国)を最後に外国馬の勝利はなく、海外遠征も、本稿執筆時点で、今年は香港のクイーンエリザベス2世Cをウインブライトが、ドバイターフをアーモンドアイが、ナッソーSをディアドラが、コーフィールドCをメールドグラースが、コックスプレートをリスグラシューが勝ち、創設当初の目的であった「世界に通用する強い馬づくり」はほぼ達成されている。

 諸先輩方に聞くと「ジョンヘンリー(John Henry(USA)は凄かった」とか判を押したように言う。海外の強豪馬が府中で走る。公開調教には多くのファンや報道が集まり、みなキラキラした目で海外の強豪馬をみつめる。それがジャパンカップの楽しみであり、筆者もそうだった。

 昨年、外国馬の出走がついに「ゼロ」になったことに対し、様々な意見があった。「賞金を上げるべき」「馬場が硬すぎる」「検疫が厳しすぎる」「日程が悪い」等など。たとえば「世界最高賞金」の称号を狙うにしても、スポンサー頼みのヨーロッパよりは有利かもしれないが、ペガサスワールドCやドバイワールドCを遥かに超えるサウジアラビアの「ザ・サウジカップ」(1着賞金1,000万ドル、日本円で約10億8,000万円)の創設が今夏に発表されたように、中東勢と競ったところで勝ち目はないだろうし、馬場も時計は速いが、ジョッキーは「硬くはない」と言うし、恐らく競馬用の芝コースとしては最高レベルの馬場だと思う。ただ、2400m2分20秒台を見たら、誰も行こうとは思わないかもしれない。

 外国馬の出走数は14年以降も3→4→3→4→2頭と減少傾向にあった。その本当の理由は、海外の競馬関係者にヒアリングするしかないだろうし、逆になぜ日本馬は凱旋門賞を目指すのか、そこをよく考えれば自ずと答えが出るのではないか。

 「ゼロ」ではないが、地方馬の中央挑戦も減りつつある。先日令和2年度の春季競馬番組が発表されたが、その中で特別指定競走、つまり特指競走の枠が広がり、基準緩和、また出走期間も4歳12月末日まで延長された。特指競走のルールはかなり細かく我々もその都度調べているが、切羽詰まっている時は主催者に聞いた方が早いから、なかなか覚えない。

 特指やGⅠステップなど指定競走の地方馬出走数を調べると、今年は本稿執筆時点で70頭。ダート4頭、芝66頭で、春の3歳と夏以降の2歳馬が中心だ。

 97年以降地方馬の出走数は増え、ピークは2001年の743頭。また地方馬の勝利数のピークは1999年の19勝。出走数は2000年代に入り徐々に減り始め、2000年代後半は200頭前後と、JRA認定のルールが変更された2012年以降は100頭前後、さらに減少傾向が続いている。

 かつて「強い馬を作って中央挑戦」は地方競馬関係者の目標だったが、数字だけ見るとそれもだいぶ変化しているように感じる。
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