南関フリーウェイ
第119回 第1回ジャパンダートクラシック(JpnI)とあの日の競馬場
10月2日、第1回ジャパンダートクラシック(JpnI)当日を迎えた大井競馬場のプレスルーム。そこでふと話題になったのは「オグリキャップのラストラン、有馬記念の日に現地に行っていた人は今どうしているのか」というものでした。時に1990年12月23日、今から34年前。
当時の写真には、柵の前で一点を見つめる熱心なファンの姿が。周囲の雰囲気から「パドックの一番前」と推察し、「有馬記念の日にここにいるのって、相当大変だっただろうね」「朝からいないとだめだったのでは」と。そんなことから、90年代後半、早朝から並んで開門を待っていたこと、指定席確保の苦労、当時はああだった、こうだったなど、短時間ながらも思い出話に花が咲きました。
さて、第1回ジャパンダートクラシック(JpnI)は、JRAから出走したフォーエバーヤングが1番人気に応えて見事勝利。写真撮影のためにゴール付近のラチ下にしゃがんでいると、スタンドからの大歓声はまさに“降り注ぐ”かのよう。ここまで7戦全て違う競馬場で国内負け知らず、海外で2勝。重賞5勝目。今回のフォーエバーヤングも本当に強かった!
「この馬の力を出せれば勝てると思っていました。とてもリズムよく走っていました。最後まで油断しないように、しっかり追いました。春はアメリカで悔しい思い(ケンタッキーダービー3着)をしたので、そのリベンジをという気持ちは強いです」と坂井瑠星騎手。歓声に導かれるようにスタンド前に向かうと、ファンに向かって馬上から一礼。その後、右手を大きくあげて祝福の声に応えていました。
一方、管理する矢作芳人調教師は「ここまでのレースでの経験値が違うと自信を持っていましたが、強いメンバーが揃っていたのでよく勝ち切ってくれたと思います。疲労の回復に手間取って、今回は八分程度にしか仕上げられませんでした。ケンタッキーダービーという凄い舞台を経験しているので、どっしりと落ち着いて、他馬を威圧するような素晴らしい馬だと思います」。
何度も「生まれ育った大井競馬場のために。大井競馬場を盛り上げたいという気持ち」と語っていた矢作調教師。同じく大井育ち・愛弟子でもある坂井騎手との勝利は、努力と情熱の賜物。繰り返し語られた言葉からは、大井競馬場への感謝とリスペクトも感じられました。
さて、冒頭で書いた「34年前の有馬記念の日に・・・」というお話。そんな会話の後に目にした大井競馬場のパドックは、多くのファンが幾重にもぎっしり。木立の間からやっと馬の姿が見える場所にさえも人垣ができていました。さっきプレスルームで話したみたいに、この光景を34年後に誰かが話題にするのかな・・・。そうと思うとなんだかわくわくするような気も。
競馬の魅力は、目の前のレースのことだけではなく、過去も未来も話せること。出会って間もない間柄でも、年齢差があったとしても、競馬を通じて思いを共有できることなのだと感じることもしばしばです。もしかしたら、「初のジャパンダートクラシックがあった年に生まれたんです。フォーエバーヤングってすごく強い馬だったんですよね」と話す誰かと、競馬について語り合う日が来るかも知れません。記憶力を鍛えておかなくては。
余談になりますが、この日の夕方、大井競馬場で「宇宙ステーションきぼう」を観測することができました。WEBで観測可能と知ってから、空が広い競馬場なら見やすいはず!と楽しみにしていたのですが、あれれ?都会の街灯りのせいか、自宅で見るより目立たない感じ。しかし、やはり周囲が開けている競馬場、しっかりと観測することができました。 約90分で地球1周という超高速で移動する宇宙ステーションは、太陽の光を反射すると見える仕組み。そのため、朝夕のみ観測が可能とのこと。競馬場で上ばかり見ていると、ちょっと不思議な人になってしまいそうですが、ナイター競馬のプラスアルファのちょっとした楽しみとしておすすめです。