JBIS-サーチ

国内最大級の競馬情報データベース

第53回 レジェンド 石崎隆之騎手引退

2019.04.24
 「平成最後」という言葉を何度となく耳にした2019年春。平成から令和へと時代がバトンタッチされるより一足早く、地方競馬のレジェンド・石崎隆之騎手が現役生活に終止符をうちました。
 昨年7月17日の騎乗を最後に、レースから離れていたため、心のどこかで覚悟のようなものがありましたが、引退の知らせを耳にした時にはとうとうこの日が来てしまったのかと、ひとつの時代の終わりを告げられたような気持ちでした。

 レジェンドの引退に、3月の船橋開催は場内が石崎騎手の勝負服カラーで内装されるなど、これまでの功績を讃えるムード一色に。特別展示が行われた競馬ミュージアムには、開門直後から多くのファンが詰めかけて長い列ができていました。

 一般のファンのみならず、縁の下の力持ちからも引退を惜しむ声が聞かれ、「会社員時代、大井競馬場が近かったからよく出かけていました。その時から石崎騎手や的場騎手を応援していてね。退職して、次の仕事を探す時に競馬に役立てるのがいいなと思ってこの仕事を選んだんですよ。寂しくなりますねぇ」と語った警備員さんもいました。
 
 3月15日の引退記者会見ではスーツ姿で登場した石崎騎手。静かな口調で「こんなにたくさん集まってくれて。人数が多くてびっくりしています」と話し始めると、淡々とこれまでを振り返りました。
 
 「昨年7月、病気で半月くらい入院してからずっと馬に乗っていなかったので、年も年だし、筋肉もだいぶ落ちましたので、昨年の秋くらいにこの辺で辞めようかなと決断をしました。振り返ると、最高で出来すぎの騎手人生だと思います。苦労はいろいろあったんだろうけど、苦労したことは今になってみると思い出。嬉しかったことはたくさんありすぎる。いろんな馬でたくさんのレースを勝たせてもらって幸せな騎手人生でした」(石崎騎手)

 「(アブクマ)ポーロにしても、トーシン(ブリザード)にしても、トムカウントにしても、みんな馬に感謝ですね。(1997年 アブクマポーロでの中京競馬場での東海ウインターステークス(G2)優勝について)後ろの方からの競馬で、覚えているのは直線すごい脚を使ってくれてよく届いたなということです。トーシンブリザードは競馬が上手でしたね。あれだけの人気だからプレッシャーが無いと言ったら嘘になるけど、落ち着いて安心して乗っていられる馬でした」(石崎騎手)。

 「(調教は)人に任せたくないし、自分で調教しないと次の日に乗った時にどうしていいのかわからない。自分で乗っているとそれが分かるから人には任せられないんです」(石崎騎手)。
 
 ひと言ひと言から、その長い騎手人生の背景にあった強い信念を感じさせた石崎騎手の言葉。後輩騎手へのメッセージとして「特にないけど、かっこよく、怪我しないで、自分の騎手人生を悔いのないようにやればいい」と語りましたが、その内容、そして表情と口調。それがもう、本当にさらりとしていてかっこよくて・・・。騎手の待遇向上にも尽力していたそうで、競馬愛・騎手愛を感じる場面もありました。
  第53回 レジェンド 石崎隆之騎手引退の画像 長年石崎騎手を支えた奥様の恵子さんは「仕事一本でやって来たすごく真面目な人。自己管理も厳しくて、ナイターになると昼間に寝るので電話番をしたり玄関の呼び鈴が鳴らないように張り紙をしたりと気を付けていました。大変でしたが、振り返ると優勝して皆さんにお祝いしていただいたり楽しいこともたくさんありました。最後は勝負服で息子(駿騎手)と一緒に乗るところも見たかったですが・・・。彼が決めたことですし、息子や後輩騎手の皆さんの成長を観るのも彼の楽しみですから」と話していらっしゃいました。
 
 この日の2Rでは、同じく父が元騎手の張田昂騎手と石崎駿騎手がゴール前の大接戦を繰り広げ、張田騎手が通算300勝を達成。引退セレモニーの直前、その名も「石崎隆之騎手引退式記念」では、息子・駿騎手がクラトリガー(矢野義幸厩舎)に騎乗し、重賞レースのような大歓声の中で見事優勝を果たしました。そういったシーンは、バトンを受け継いだ次世代の頼もしさも感じさせました。

 石崎隆之騎手は地方通算6269勝、中央で74勝。重賞勝利は189勝。1987年から2001年まで、15年連続で南関東リーディングを獲得(地方競馬の全国リーディング通算10回)し、1994年のワールドスーパージョッキーズシリーズ(2015年からWASJワールドオールスタージョッキーズ)では地方競馬所属騎手として初優勝も果たしました。偉大なるレジェンドの功績は、新しい時代になっても語り継がれていくことでしょう。

トップへ