南関フリーウェイ
第89回 名門厩舎に幕 出川克己調教師
2022.04.25
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3月15日の船橋競馬9Rで、出川克己調教師(船橋)が管理馬最後の出走を終え、42年間の馬と歩んだ道に幕を下ろしました。厩務員を経て、1996年5月に開業。最後の出走馬・キトゥンズルンバ(父Kitten's Joy アメリカ産)までの地方競馬通算成績は3430戦783勝、2着548回、3着407回。勝率22.8%、連対率38.8%。NARグランプリ2010では勝率36%を超える高い数字で最優秀勝率調教師賞を受賞。その記者会見の場で「目指すのは勝率100%です」と語ったように、名門厩舎として勝利への熱意を表す高い数字を残しての引退となりました。
「(最後の出走について)馬は頑張りましたね。ケガもしなかったし。勝てれば良かったのかも知れませんが、もともとお馬さんたちが無事に走れることをモットーにやってきたので、ある程度、思っていたようにやってこられたかな」と、穏やかな口調で語った出川調教師。'お馬さんたち'という言葉からも、その温かい人柄が伝わってきました。
出川調教師といえば、やはりアブクマポーロの存在を忘れるわけにはいきません。「あの馬は競馬を舐める気持ちになってしまうほどの強さがありましたね。絶対勝てると思っていた。たまに負けることはあったけど、絶対勝てると思わせるほど強かった。そんな気持ちにさせる馬に出会うことはなかなか無いでしょう。いろいろなことを教えてもらいました」(出川調教師)。
重賞の勝利数はアブクマポーロでの1998年のかしわ記念、同じ年の帝王賞など65勝。1997年にはJRAの重賞・東海ウインターステークス(G2)にアブクマポーロで出走し、見事優勝を果たしました。
これだけ偉大な成績を残している出川調教師ですが「重賞を勝ってもあまり覚えていないこともありますね」とのこと。そういえば、「目標は勝つことですから、負けたレースばかり覚えています。馬のことですのでいろいろ悩みも出てきますが、そういう問題を消去していって、これでOKというところで出走させることが馬の実力を出してくれるのでは思います」。そう語っていたことがありました。
「こうして皆さんからいろいろ話を聞かれていると、ああ、辞めるって今日なんだなと思いますね。引退しますと言ってからも、今までしたことがない(厩舎を閉じるための)片付けなどでバタバタしていて、あまり実感がわかなかった。今日になってやっと、あぁ今日が最後なんだと感じられました」(出川調教師)。この間にも、何人もの関係者から「お疲れ様でした」「ありがとうございました」「また、会おう!」とたくさんの声がかけられていました。
1歳の頃から船橋競馬場で育ち、競馬場の歴史も見てきたという出川調教師。「昔は海岸厩舎(向こう正面の厩舎地区のこと)に池みたいなのがあって、泳いでいる人もいたんですよ。のんびりした時代ですね。すぐ目の前に海もありましたからね」と伺ったことがありました。
そのお話をもとに、国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスで過去の写真を見てみると、競馬場の南側はすぐに海。今は埋め立て地に囲まれている谷津干潟は海に面しています。写真は1960年前半のものだったので、出川調教師が小学校低学年頃でしょうか。
「ずっと競馬場の中にいたので、ここから離れる実感がないですね。ここまで理想の仕事をやろうやろうと、そう思ってやってきました。家族とは『結構幸せな調教師人生だったね、ラッキーだったね』と話しました。皆さんとお馬さんのおかげですね」(出川調教師)。
スイーツ好きとしても知られる出川調教師。おだやかな人柄とジェントルマンな雰囲気は、関係者をはじめ、多くのファンに愛されました。今後については、「イベントに呼んでいただけたら、昔話をしてみたいかな」と、ちょっぴり茶目っ気を含んだ笑顔を見せていました。
今回、ラストランの日のレポートということで「調教師」と書かせていただきました。近い未来、出川克己'元調教師'から、船橋競馬場にまつわる貴重な思い出話を伺える日が来ることを、楽しみにしていましょう。
「(最後の出走について)馬は頑張りましたね。ケガもしなかったし。勝てれば良かったのかも知れませんが、もともとお馬さんたちが無事に走れることをモットーにやってきたので、ある程度、思っていたようにやってこられたかな」と、穏やかな口調で語った出川調教師。'お馬さんたち'という言葉からも、その温かい人柄が伝わってきました。
出川調教師といえば、やはりアブクマポーロの存在を忘れるわけにはいきません。「あの馬は競馬を舐める気持ちになってしまうほどの強さがありましたね。絶対勝てると思っていた。たまに負けることはあったけど、絶対勝てると思わせるほど強かった。そんな気持ちにさせる馬に出会うことはなかなか無いでしょう。いろいろなことを教えてもらいました」(出川調教師)。
重賞の勝利数はアブクマポーロでの1998年のかしわ記念、同じ年の帝王賞など65勝。1997年にはJRAの重賞・東海ウインターステークス(G2)にアブクマポーロで出走し、見事優勝を果たしました。
これだけ偉大な成績を残している出川調教師ですが「重賞を勝ってもあまり覚えていないこともありますね」とのこと。そういえば、「目標は勝つことですから、負けたレースばかり覚えています。馬のことですのでいろいろ悩みも出てきますが、そういう問題を消去していって、これでOKというところで出走させることが馬の実力を出してくれるのでは思います」。そう語っていたことがありました。
「こうして皆さんからいろいろ話を聞かれていると、ああ、辞めるって今日なんだなと思いますね。引退しますと言ってからも、今までしたことがない(厩舎を閉じるための)片付けなどでバタバタしていて、あまり実感がわかなかった。今日になってやっと、あぁ今日が最後なんだと感じられました」(出川調教師)。この間にも、何人もの関係者から「お疲れ様でした」「ありがとうございました」「また、会おう!」とたくさんの声がかけられていました。
1歳の頃から船橋競馬場で育ち、競馬場の歴史も見てきたという出川調教師。「昔は海岸厩舎(向こう正面の厩舎地区のこと)に池みたいなのがあって、泳いでいる人もいたんですよ。のんびりした時代ですね。すぐ目の前に海もありましたからね」と伺ったことがありました。
そのお話をもとに、国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスで過去の写真を見てみると、競馬場の南側はすぐに海。今は埋め立て地に囲まれている谷津干潟は海に面しています。写真は1960年前半のものだったので、出川調教師が小学校低学年頃でしょうか。
「ずっと競馬場の中にいたので、ここから離れる実感がないですね。ここまで理想の仕事をやろうやろうと、そう思ってやってきました。家族とは『結構幸せな調教師人生だったね、ラッキーだったね』と話しました。皆さんとお馬さんのおかげですね」(出川調教師)。
スイーツ好きとしても知られる出川調教師。おだやかな人柄とジェントルマンな雰囲気は、関係者をはじめ、多くのファンに愛されました。今後については、「イベントに呼んでいただけたら、昔話をしてみたいかな」と、ちょっぴり茶目っ気を含んだ笑顔を見せていました。
今回、ラストランの日のレポートということで「調教師」と書かせていただきました。近い未来、出川克己'元調教師'から、船橋競馬場にまつわる貴重な思い出話を伺える日が来ることを、楽しみにしていましょう。