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第127回 『ダービーの季節』

2019.07.26
 5~6月と言えば競馬の世界はダービーの季節。筆者にとっては実に久々の日本ダービー観戦なのであった。
 毎年ダービー当日は子供の剣道の地区ブロック大会が必ずあって、審判とか監督に駆り出されていたが、進学して別な種目に転向してくれたのでその用事もなくなった。例年は閉会式の時間がダービーの発走時間で、屋外に退避しつつスマホかカーナビのテレビでレース観戦という、スポーツを通した青少年の健全育成とは程遠いおっさんだったが、今年はオルフェーヴルが勝った2011年以来、実に8年ぶりの府中であった。やはりダービーの雰囲気は最高である。日頃はあまり見かけない専門紙も、いつもより多くのお客さんが持っている。そこに最初に目が行く時点で、深刻な職業病であるが。

 今年の日本ダービーは浜中俊騎手が乗る12番人気のロジャーバローズが勝ち、ダミアン・レーン騎手に乗り替わった1番人気のサートゥルナーリアは、スタートの出遅れが響き4着に敗れた。「テン乗りでのダービー制覇」は1954年のゴールデンウエーブ以来65年ぶりの快挙となる可能性もあったが、やはりダービーは甘くはなかった。

 甘くないついでに、筆者はメイショウテンゲンから買ったのだが、1コーナーで最後方。武豊騎手をしても、令和になってもやはり「ダービーポジション」が取れないと難しいのであった。

 悪い事ばかりではない。競馬場に到着して最初のレースで、同期の予想に乗ったら◎が勝ち、ヒモに人気薄の△が来て万馬券となった。馬券が当たるとやはり嬉しいものだ。

 一方、本業の東京ダービー。

 東京ダービーと言えば「大井の七不思議」だが、残念ながら的場文男騎手は5月21日に落馬、負傷し、今年は騎乗することが出来なかった。さらに今年は中継の解説が入り、大学生以来続く「東京ダービー連続観戦記録」が途切れた。とはいえ、仕事は呼ばれれば喜んで行く派である。ましてやダービーなら断る理由がない。

 ひとつ残念だったのは、当日のプレゼンターのゲストがデヴィ夫人であったこと。デヴィ夫人はお会いしてみたかったなあと。

 中継は悪い方に勘が働きまくった。◎は羽田盃で36.9秒の驚異的な上がりで勝ったミューチャリー。○に気を抜くクセはあるものの、ここ一連で安定した成績を残しているウィンターフェル。そして▲には京浜盃で鼻出血を発症し出走停止明けとなるヒカリオーソ。

 イグナシオドーロが行くか、ヒカリオーソが行くかは五分五分とみていたが、いずれにせよ平均かスローになって、徐々に位置取りを上げたミューチャリーが直線で弾けるはず。そう読んでミューチャリー軸に相手流しの3連単で挑んだ。ただ、参考レースの解説でも「もしミューチャリーが負けるとしたら、雲取賞のようなパターン」となんとなく思ったし、その通りに確かに言ったのだが。

 言葉というものは怖いものだ。言葉は言霊ともいい、口に出せばそれが本当になる。スタートして3~4ハロン目でドンとペースが落ちた。逃げたイグナシオドーロは本調子にはまだまだ遠い感じだっただけに、番手に付けたヒカリオーソが断然有利な状況。あとは鼻出血明けで息が持つかどうかだけだったが。

 後方11番手から徐々に位置取りを上げたミューチャリーは、なかなかエンジンがかからないように見えたが、実は勝ち馬と同じ上がり最速タイで走っていた。それだけ前が楽だった。

 「負けるとしたらこのパターン」が現実になってしまった。いらんことは言うものではない(笑)。しかも▲◎○の印で決まったのに、外してしまうという不覚。印圏内も買い方で外すということはそれほど珍しい事ではないが、今年の東京ダービーのような、これほど乗れていない予想結果は自分史の中でも記憶にない。

 ちょうどその開催の2日目4Rで柏木健宏騎手が落馬事故に巻き込まれ、意識不明の状態が続いていて、どことなく落ち着かない開催ではあった。中継でもその件を振られて、実は言葉が出なかった。柏木騎手とは他の騎手や日刊紙の記者たちと遊びに行ったこともある。これがちょっと遠い存在や遠い付き合いの人なら「早く良くなって欲しい」などと言えたかもしれないが、リアルに身近な人だけに自分にもショックがあったのかも。

 幸い、その後意識を取り戻したが、復帰への道のりは長いだろう。ただ、今なら「復帰を待っています」と言える、と思う。

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