南関フリーウェイ
第77回 想いが受け継がれますように。
2021.04.28
Tweet
3月19日。突然の訃報に、言葉を失いました。ビッグレッドファームの岡田繫幸氏逝去の知らせ。私が今、こうしていられるのは岡田さん無しにはありえない事。氏は私にとって、数々の素晴らしい時間や出会いをくれた恩人と言っても過言ではありません。
この仕事に就く前のこと。ふとしたことがきっかけで愛馬会の会員になり、それまで勝ったり負けたりするだけに見えた競走馬にも、1頭1頭に個性があることを知りました。馬も寝ぼけたり、眩しい時には目をしょぼしょぼしたりするなんて!それはまさに私にとっての「馬時間」の始まり。そして、その時間を得る元になった大きな存在が、岡田さんのビッグレッドファームでした。
事務所を通じて電話予約をし、ワクワクしながら初めて訪れた当時、ビッグレッドファームの本拠地は静内の浦和にありました。その頃の私といえば、「地方競馬の馬と中央競馬の馬って、生産している牧場が違うの?」という状態。馬は最初から人を乗せて走れるものだと思っていました。
初めての出資馬との面会は5分か10分。その中で目にした風景、出迎えてくれたスタッフとの会話。それは勝手に思い描いていた牧場のイメージを一新するものでした。きれいに塗装された牧柵、整備された厩舎、美しい花壇、気持ち良く挨拶してくれるスタッフ。その全てに、岡田さんの想いが込められていたのだと、少し後になって知りました。
牧場と競走馬、それらを取り巻くさまざまなことに心を奪われて、夢中になるのに時間はかかりませんでした。しかし、「顔がかわいい」「人懐っこかった」となどという理由で毎年1頭か2頭に出資していた馬たちは、無念の未勝利引退の連続。牧場では「勝てない会員さん」と親しみと残念感を込めた存在として知られ、岡田さんからは「阿部さん、今、何を持ってるの?え?あ、あぁ、あの馬ねぇ。動きはすごくいいと思ったんだけどねぇ・・・。あぁ、いや、申し訳ない!」と長身を小さくしながら謝られたことも。「出資馬の名前を出すと社長のテンションが下がる」と笑ったこともありました。「最初に浦和にお伺いした時、シルヴァーエンディングやムービースターがいましたね」と言うと、「懐かしいね!」とにっこりされた表情を今でも思い出します。
出資していた馬はなかなか勝ち上がれなかったけれど、無事にデビューすることの大変さ、勝つことの難しさ、勝った時の喜び、1頭の馬にどれだけ多くの人が携わって来たのか・・・。競馬を観る時に、想像力とストーリーを与えてくれたのが岡田さんでした。あの馬は〇〇さんが調教していたな、今頃みんなでテレビを観ながら応援しているだろうな・・・そう思うことで、どれだけ競馬を観る時間が豊かになったことでしょう。
出資馬以外、自分に直接関りがない馬でも、ビッグレッドファームの馬が勝つと嬉しかった。そう思わせるものが岡田さんにはあったのだと思います。一緒に夢を見られるひと。夢を叶えてほしいと思えるひと。その気持ちのピークが、夏のように暑かったあの日、2004年の日本ダービーだったのかも知れません。
競馬の他、馬を育む大地の素晴らしさも教わりました。透明な青が美しいエゾエンゴサクの花。真歌で見上げた満天の星空や、1メートル先も見えない本当の夜の暗さ。日高本線が走る傍らの、月明りが浮かぶ静かな海。一面に咲く黄色のオオハンゴンソウ。地面に落としたカメラのキャップの小さな音に、何百メートルも離れた丘にいる鹿の群れが反応するほどの静寂と、野生動物の能力。真歌、春立、絵笛、月寒・・・美しい地名の数々。そのどれもが、岡田さんと馬がいなければ知る由もなかったものばかりでした。
ビッグレッドファームといえばBOKUJOBでもお馴染みです。BOKUJOBのレポートの仕事は、岡田さんや馬産地に恩返しをするチャンスだという気持ちで臨みました。直接感謝を伝える術を失くした今でも、その気持ちは忘れずにいたいと思っています。気さくに声を掛けてくださった思い出や、馬を語る時に伝わって来た真っ直ぐな情熱。それらはこれからも、私に力を与えてくれることでしょう。
岡田さんのもとで育まれた馬の走りを観た誰かが、次の競馬を繋いでいく。その誰かが手掛けた馬を、また他の誰かが観て・・・。その連鎖がこれから先ずっと続き、想いが受け継がれますように。
岡田繫幸氏のご冥福を心からお祈り申し上げます。
この仕事に就く前のこと。ふとしたことがきっかけで愛馬会の会員になり、それまで勝ったり負けたりするだけに見えた競走馬にも、1頭1頭に個性があることを知りました。馬も寝ぼけたり、眩しい時には目をしょぼしょぼしたりするなんて!それはまさに私にとっての「馬時間」の始まり。そして、その時間を得る元になった大きな存在が、岡田さんのビッグレッドファームでした。
事務所を通じて電話予約をし、ワクワクしながら初めて訪れた当時、ビッグレッドファームの本拠地は静内の浦和にありました。その頃の私といえば、「地方競馬の馬と中央競馬の馬って、生産している牧場が違うの?」という状態。馬は最初から人を乗せて走れるものだと思っていました。
初めての出資馬との面会は5分か10分。その中で目にした風景、出迎えてくれたスタッフとの会話。それは勝手に思い描いていた牧場のイメージを一新するものでした。きれいに塗装された牧柵、整備された厩舎、美しい花壇、気持ち良く挨拶してくれるスタッフ。その全てに、岡田さんの想いが込められていたのだと、少し後になって知りました。
牧場と競走馬、それらを取り巻くさまざまなことに心を奪われて、夢中になるのに時間はかかりませんでした。しかし、「顔がかわいい」「人懐っこかった」となどという理由で毎年1頭か2頭に出資していた馬たちは、無念の未勝利引退の連続。牧場では「勝てない会員さん」と親しみと残念感を込めた存在として知られ、岡田さんからは「阿部さん、今、何を持ってるの?え?あ、あぁ、あの馬ねぇ。動きはすごくいいと思ったんだけどねぇ・・・。あぁ、いや、申し訳ない!」と長身を小さくしながら謝られたことも。「出資馬の名前を出すと社長のテンションが下がる」と笑ったこともありました。「最初に浦和にお伺いした時、シルヴァーエンディングやムービースターがいましたね」と言うと、「懐かしいね!」とにっこりされた表情を今でも思い出します。
出資していた馬はなかなか勝ち上がれなかったけれど、無事にデビューすることの大変さ、勝つことの難しさ、勝った時の喜び、1頭の馬にどれだけ多くの人が携わって来たのか・・・。競馬を観る時に、想像力とストーリーを与えてくれたのが岡田さんでした。あの馬は〇〇さんが調教していたな、今頃みんなでテレビを観ながら応援しているだろうな・・・そう思うことで、どれだけ競馬を観る時間が豊かになったことでしょう。
出資馬以外、自分に直接関りがない馬でも、ビッグレッドファームの馬が勝つと嬉しかった。そう思わせるものが岡田さんにはあったのだと思います。一緒に夢を見られるひと。夢を叶えてほしいと思えるひと。その気持ちのピークが、夏のように暑かったあの日、2004年の日本ダービーだったのかも知れません。
競馬の他、馬を育む大地の素晴らしさも教わりました。透明な青が美しいエゾエンゴサクの花。真歌で見上げた満天の星空や、1メートル先も見えない本当の夜の暗さ。日高本線が走る傍らの、月明りが浮かぶ静かな海。一面に咲く黄色のオオハンゴンソウ。地面に落としたカメラのキャップの小さな音に、何百メートルも離れた丘にいる鹿の群れが反応するほどの静寂と、野生動物の能力。真歌、春立、絵笛、月寒・・・美しい地名の数々。そのどれもが、岡田さんと馬がいなければ知る由もなかったものばかりでした。
ビッグレッドファームといえばBOKUJOBでもお馴染みです。BOKUJOBのレポートの仕事は、岡田さんや馬産地に恩返しをするチャンスだという気持ちで臨みました。直接感謝を伝える術を失くした今でも、その気持ちは忘れずにいたいと思っています。気さくに声を掛けてくださった思い出や、馬を語る時に伝わって来た真っ直ぐな情熱。それらはこれからも、私に力を与えてくれることでしょう。
岡田さんのもとで育まれた馬の走りを観た誰かが、次の競馬を繋いでいく。その誰かが手掛けた馬を、また他の誰かが観て・・・。その連鎖がこれから先ずっと続き、想いが受け継がれますように。
岡田繫幸氏のご冥福を心からお祈り申し上げます。