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第99回 送り出す側の気持ちを思う、門出の季節

2023.02.24
 今年も門出の季節となりました。そこで今回は、取材を通じて目にした馬たちの「引退式・門出」の舞台裏を振り返ってみることにしました。競走馬の「門出」は春とは限りませんが、送る側の'気持ち'は同じなのではと思います。
 まずは、地方競馬で初めてドバイワールドカップに出走するなど、南関東の枠を超えて大きな夢を見せてくれたアジュディミツオー(父アジュディケーティング)。引退式は2009年11月18日、船橋競馬場で行われました。セレモニーの前、いつもの洗い場に立つミツオーの傍らには、前年にJRAに移籍した内田博幸騎手の姿がありました。

 セレモニーの出発時間までミツオーが待機していたのは、ちょうど馬場への出入り口。多くの関係者が集まっているのを目にした他厩舎の厩務員さんが、「俺の馬を待ってたのか~(笑)」と声を掛ける和やかなシーンもありました。そんな様子を、隣接する建物の屋上(3階)から矢野義幸調教師、石井勝男調教師が笑顔で見守っている・・・。ミツオーが駆けたあの熱狂の締めくくりには、晴れやかな小春日和の下、おだやかな時間が紡がれていました。

 2010年10月には、南関東の長距離路線で活躍したルースリンド(父エルコンドルパサー)が引退しました。ラストランは3連覇を賭けて臨んだ東京記念。鞍上は、脚元の不安と闘うルースリンドを調教パートナーとして支え続けた佐藤裕太騎手(現調教師)でした。この日、2着に敗れはしたものの、いくつもの願いを乗せ、その勇姿を多くのファンの目に焼き付けたルースリンド。最後まで誇り高く、その競走馬生活に終止符を打ちました。

 ルースリンドといえば、矢野調教師が「厩舎の原点」として今も大切にしている存在です。JRAから未勝利で転入したルースリンドを、故佐藤隆騎手や厩舎スタッフと共に南関東重賞ウイナーへと育て上げ、さらにその産駒・ストゥディウムで厩舎初となるクラシック制覇を成し遂げたことは、情熱と願いの結晶とも言える熱いエピソードでしょう。そして、ルースリンドの軌跡が厩舎の基礎となり、ミューチャリーの地方馬初のJBCクラシック(JpnI)制覇へと繋がった。ふと、そんな思いにも至ります。
  第99回 送り出す側の気持ちを思う、門出の季節の画像 ルースリンドの引退セレモニーが行われたのは、暮らし慣れた船橋の厩舎。「チーム・ルースリンド」の厩舎スタッフ、獣医、ゆかりの人々が集い、その門出を祝いました。一人ひとりがルースリンドの大好物のバナナやりんご、にんじんを手に労いの言葉をかけるあたたかい時間。直前に高知競馬へと修行に出た小杉亮騎手は電話で「参加」。この時、差し出された携帯電話にルースリンドが耳と視線を向けていた表情も、心温まるものでした。

 「いつも鞍上なので、こんなに顔を近くで見たことがないですね」と、記念撮影に応じた佐藤騎手(当時)の言葉。ぎゅっとルースリンドの顔を抱き寄せた担当厩務員さんの姿。「雰囲気を読める賢さがある」と言われたルースリンドが、いつも通り、そして見納めと知っているかのように、じっと空を見上げていた姿も心に残っています。

 また、引退ではありませんが、トロンハイム(父Halling)が南関東からJRAに移籍した時のことも書いておきましょう。船橋でデビューし、勝ち星を重ねていたトロンハイム。芝のある岩手へ移籍するなど、新たな可能性を模索しながらの競走馬生活。そんな中、再転入した南関東からJRAへの移籍が決定。その時、いつも携わっていた装蹄師の方が「きれいにしておけば、中央に行った時にも『きれいにしているな、大事にされてきたんだな、大事にしよう』って思ってもらえるだろうから」と、ケアしている姿を目にしました。それはまさに、次の場所での幸せを願う心だったのだと思います。

 他の馬のエピソードもありますが、書ききれず・・・。送り出されるその姿の傍らにある、送り出す側の愛情を思う門出の季節です。

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