JBIS-サーチ

国内最大級の競馬情報データベース

第100回 母から受け継いだ「誇り」を力に。クラウンプライド

2023.03.27
 ダート路線で活躍中のクラウンプライド(JRA新谷功一厩舎)。2022年2月に行われたUAEダービーで見事優勝し、世界の競馬の歴史にその名を刻みました。去る2月26日(日本時間)に行われたサウジカップでは5着に入り、堅実な力を再び世界へとアピール。今後の活躍にも期待が高まります。
 クラウンプライドの血統を辿ると、祖母に道営でデビュー、南関東所属馬として初めて桜花賞(GI)に出走したエミーズスマイル、母は道営デビューの後、南関東競馬で走ったエミーズプライドへと繋がります。叔母(エミーズプライドの半姉)は、ロジータ記念(SI)の優勝馬でもあり、エンプレス杯(JpnII)2着、JRAにも参戦したエミーズパラダイス。華やかな経歴を持つ母エミーズスマイルと姉エミーズパラダイスですが、クラウンプライドの母エミーズプライド自身は、南関東移籍後は船橋競馬場以外では出走せず、コツコツと勝利を重ね、その競走馬生活を終えての繁殖入りでした。ここからはクラウンプライドの母系が歩んだ時間を振り返っていきましょう。

 祖母・エミーズスマイルは2004年生まれ。デビューから3戦目、今は無き旭川競馬場で初勝利を挙げました。2006年秋の南関東移籍後はJRAに参戦。寒竹賞、アネモネステークスと連勝し、南関東所属馬としては初となる桜花賞への出走を果たしました(この時の桜花賞の勝ち馬はダイワスカーレット)。担当厩務員さんが「脚を踏まれた時は痛かったけどね。いいんだよ、娘みたいなものだから」と話していたのを今でもよく覚えています。

 さらなる飛躍が楽しみとなった中での2007年夏、馬インフルエンザの発生による出走制限という不運がエミーズスマイルの行く手を阻みます。そして、なんとか出走のめどが立った頃、調教中の事故に見舞われ、復帰が叶わないままその競走馬生活に幕を下ろすこととなってしまいました。一時は、繁殖入りできるかどうかの不安もあったとのこと。産駒たちは'奇跡の存在'なのかも知れません。

 そのエミーズスマイルの第3仔が、クラウンプライドの母・エミーズプライドです。416キロで勝利したこともあったことから、厩舎での愛称は「ちびエミ」ちゃん。そのちびエミちゃんの競走馬としての時間は、母エミーズスマイル同様、けして平坦なものではありませんでした。

 2014年に道営でデビューし、南関東に移籍したエミーズプライドは、2016年2月のスズカモ賞の後、命の危険もあるほどの状態となり開腹手術。なんとか一命を取り止め、競走馬としての道を繋ぎました。

 復帰したエミーズプライドの担当は「大きな手術をしたのなら、以前担当していた自分が手掛けてあげたい」と志願した飯田稔厩務員。復帰戦は前走からちょうど1年後の2017年2月のスズカモ賞。このレースを見事勝利で飾り、再度、競走馬としての道を歩み始めました。白い雪の向こう、くしゃくしゃの笑顔でエミーズプライドを迎えた飯田厩務員の姿は、本当に感動的な、劇的な光景として今でも鮮明です。
  第100回 母から受け継いだ「誇り」を力に。クラウンプライドの画像 その後も飯田厩務員が用意した「誇」と「ちびエミ」の刺しゅう入りメンコを着け、船橋競馬場でコツコツと走り続けたエミーズプライト。雪の日の復帰戦から1年後、2018年のスズカモ賞での勝利が、繁殖入りへの花道となりました。この時、レースから戻って来たエミーズプライドに、関係者の労い手がいくつも添えられ、ありがとうの言葉が繰り返されていたのは、思い出すたびに心があたたかくなるシーンです。

 あれから5年。門別と船橋で駆け、南関東移籍後は輸送競馬を経験しなかったエミーズプライドの仔が海外の大舞台で走っている。そう思うと、祖母や母の競走馬生活を支え、手から手へと繋ながれたバトンの存在を思わずにはいられません。祖母エミーズスマイルの苦難の道、母エミーズプライドの試練の道、つらいことはあったけれど、そこにはいつもあたたかな手が添えられ、次の時間へと受け繋がれてきたようにも思います。

 この原稿を書いている時点で、クラウンプライドはドバイワールドカップに出走予定。母から譲り受けた誇りある走りを応援したいと思います。
トップへ