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第134回 『ブエノスアイレス午後1時 PARTⅡ』

2020.02.19
 ユニクロで買ったエアリズムの上に、白い長袖シャツ、そして薄手のジャケットを羽織る。天気予報によると、日中は30度近くまで気温が上がるらしいが、夜になると一気に冷え込むらしい。外に出るとカラッとした熱気が身体を包み込んだが、夜になればジャケット一枚では寒いと思えるのかもしれない。
 日本のほぼ真裏に当たるアルゼンチンに着いてから2日目。ロケ初日の午前中には、「エビータ」の愛称がつけられているエバ・ペロンがバルコニーで演説をした大統領府の前でロケを行った。我々のような異邦人だけでなく、社会科見学なのだろうか、現地の小学生も来ていた。どこから見ても観光地だなあと思ったところ、いきなり警察官に「パスポートはあるか?」と声をかけられた。このふくよかな身体のどこかに、ケチャップでも隠しているように見えたのかと思っていたが、「目の前にあるビデオカメラだけど、誰かがひったくるかもしれないから、掴んでおいた方がいい」という、物騒なアドバイスだった。その言葉を聞いてからだと、小学生や引率する先生ですら、ケチャップをかけた隙に、集団でビデオカメラを奪い取ろうとする強盗のように見えてくる(あくまで妄想です)。

 いや、ケチャップ強盗より恐ろしいのは、ブエノスアイレス市内を走るドライバーのマナーの悪さだろう。このロケに同行したディレクターのHさんが運転する、左ハンドルのマニュアル車というレンタカーで、午後からのロケ地であるアルヘンティノ(パレルモ)競馬場へと向かったのだが、ただでさえ運転の難易度が高いのに、割り込み上等、幅寄せ当たり前、車線変更をしようとする車を入れるなんてもってのほか、という極悪ぶり。そのアルへンティノ競馬場だが、先ほどの大統領府からだと、車で10分ほどの場所にあるらしい(あくまで道が混んでいなければの話なのだろうが)。イメージとしては中心部からのアクセスも良い、大井競馬場とでもいうのだろうか。

 1908年に建てられたというメインスタンドは、それだけで芸術作品と言えるような荘厳さがある一方で、競馬場に来る人の数はまばらで、その歴史の重みなど感じていないようなラフな格好が目立っていた。取材ということもあり、しっかりとジャケットを羽織ってきたHディレクターと自分はかなり浮いた存在だったと思うが、その分、競馬場内では色々な人から、「どこから来たんだ?」と話しかけられ、日本から来たと返すと、物珍しい表情をされたり、歓迎するかのように握手を求めてくる人もいた。

 その歓迎の最たるものが、競馬場内におけるVIP待遇だった。控え室として馬主席を用意してもらっただけでなく、ロケに関しても検量室から装鞍所、はたまた、騎乗を控えた騎手がいる部屋まで案内してもらうことができた。その中でもとんでもないVIP待遇となったのが、この日のメインレースとなっていた、「CLASICO THE JAPAN RACING ASSOCIATION」のプレゼンターだった。

 勿論、JAPAN RACING ASSOCIATIONとは「JRA」のこと。この取材において、様々な面で便宜を図ってくれた方は、「JRAと名の付いている以上、お前がプレゼンターをやるべきだ!」と伝えてくると(多分)、副賞として手渡される銀の皿を渡してきた。Hさんからは、「スペイン語で『おめでとうございます!』は...」と教えられるものの、突然の大役を押しつけられたことで気持ちがふわふわするばかり。結局、優勝馬の馬主に伝えるはずだった祝福の言葉も、頭の中が真っ白になったのをごまかすべく、ごにょごにょと話したがばかりに、当惑の表情を浮かべられただけとなった。

 ただでさえ高い気温で汗をかいていただけでなく、ここで一気に冷や汗も出ていた自分の身体からは、一気に水分が失われていたのだろう。なんと、競馬場内に醸造所もあるビアバーに案内してもらった時、普段は全く口にしないビールを一気に飲み干していた。

 メインレースは午後6時の発走となったが、その後もレースは8時半頃まで行われていく。

 酔いが回っているせいでもないのだろうが、入場した頃よりも人の数は増えているように見える。

 ビアバーの中にいる人も目の前のレースには目もくれずに、モニターに映し出されるサッカーに歓声をあげている。先ほどのプレゼンターの件も含めて、日本の競馬場ではあり得ない非日常的な世界に自分が飛び込んでいたことを、空になったジョッキを手にしながら改めて感じた。
(次号に続く)

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