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馬ミシュラン

小山内完友 馬ミシュラン

第17回 「祝60周年」

 今年,大井競馬場,川崎競馬場,船橋競馬場が60周年を迎え,様々な企画が催されている。

 開場された理由は様々だが,戦後間もない昭和23年7月13日に現行の「競馬法」が公布された。

 当時,自治体には戦災復興,戦時体制で遅れていた施設の復旧整備,インフレ,台風などの災害などにより,莫大な財政負担が生じていた。こうした状況下で,いずれの主催自治体に於いても,競馬による財源は貴重な存在であったようだ。

 当時,千葉県には柏競馬場,東京府(現東京都)には八王子競馬場,神奈川県には戸塚競馬場が既に存在しており,実際に開催もされていた。「公営競馬」としての地方競馬は当初成績も良かったが,次第に新興の競技「競輪」に人気,売得ともに押され気味になってきた。競輪場は交通の便が良く,なにより控除率が競馬34.5%に対し,25%と10%近く低かったことが,魅力であった。

 たとえば船橋競馬。柏競馬場(現豊四季団地)は都心から遠く,日程,番組面で工夫を図ったが赤字競馬から脱却できず,根本から立て直す必要に迫られた。その中で「アクセス,そして設備,環境面まで配慮した近代競馬場の建設」が必要との結論に達し,紆余曲折の末,現在の船橋競馬場の地に新競馬場が誕生した。

 昭和25年2月に議会に出し,3月に議決,4月に施設会社の川崎レース倶楽部(現よみうりランド)と調印,6月16日に着工して,8月11日に竣工だから,56日で完成したことになる。

 今年は11月にJBC開催が控え,華々しく60周年を迎えることになる。

 東京も同じように,戦後,八王子競馬を開催したが,不振であった。八王子といっても八高線の小宮という,現在は首都大学東京(日野キャンパス)が建つ場所で,まあ今でもちょっと不便な場所である。当然のように立地の問題とされ,現在の大井競馬場の地に新競馬場を建設することとなった。昭和25年5月2日に開場式,5月12日に第1回大井競馬が開幕された。八王子に比べ入場で6倍,売得は7倍であったという。当時,現在の品川区勝島の他にも5ヵ所の候補地があり,特に駒沢ゴルフ場(現駒沢オリンピック公園)は有力な対抗馬であったようだ。いい場所だが,もし駒沢競馬場であったなら,もしかしたら競馬場はもうなかったかも知れない。

 大井競馬場も今年で60周年,そして来年はトゥインクルレース20周年を迎える。奇しくも来年,2007年以来4年ぶりにJBCが行われる。

 神奈川も戸塚競馬が行われていたが,当時同様の悩みを抱えていた。昭和24年には売上げ全国1位であったが,新興競技「競輪」の影響で徐々に減少。戸塚は当時横須賀線だけで,交通の便も悪かった。神奈川の場合は船橋や大井とは違い,当初は1県2場を志向していて,昭和23年に市議会,24年に県議会で決定し,昭和25年1月25日に第1回の県営川崎競馬が開催された。その後,戸塚競馬場は売得を大きく減らし,昭和25年10月22日を以って休止されることとなった。
 
 ちなみに,「地方競馬史第二巻」によると,昭和45年4月まで,横浜に場外売り場があり,結構な売上げがあったようだ。中区宮川町とのことだから,ウインズ横浜よりも,もう少し大岡川沿いの方ではないかと思われる。狭く危険で,建て替えも困難なため閉鎖。もったいない話である。

 実は,弊紙,日刊競馬も今年60周年を迎えた。日刊競馬の前身は,競輪新聞の印刷を請け負う印刷屋であった。具体的に言うと川崎競輪の「黒競」である。それが昭和25年秋,川崎競輪で騒擾事件が起こり,競輪の開催が長期間にわたり中止されてしまった。仕事がなくなった印刷請負と,同じく仕事がなくなった競輪新聞の売り子さんが,大井競馬の新聞を発行したのが,日刊競馬の始まりなのである。版権とか協会とかデータベースとか,そんなもののない時代の話である。

 その名残なのか,ほんのつい10年ほど前までは,川崎競馬場のベテラン従事員のおねえさんから「黒競さん」と呼ばれていた。電話の交換があった頃,「黒競お願いします」と言うと,ちゃんと記者席の弊社トラックマンに電話が繋がった。

 社長から「60周年でなんか考えてよ」と言われているが,社内には今のところ何の気配も感じられない(笑)。それよりも,次の10年を一生懸命生きる事の方が,今は大事なのだ(涙)

JBBA NEWS 2010年5月号より転載