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第18回 引退

2010.06.14
 再び剣道を始めることになった。高校1年以来だから実に24年ぶりの剣道だ。大河ドラマ龍馬伝を見過ぎた小学3年生の息子がやりたいと言い出し,地元の剣友会に入会。一応自分も有段者。稽古を見ていてイライラしてきたので,つい稽古終わりに教えてしまったら,先生に経験者であることがバレた。そして誘われてしまった。
 有段者といっても初段で辞めたので,剣道の世界では素人のようなものだ。40にしてまた一からやり直し,ということになる。しかし,今でさえフットサルやらカートやらで忙しい?のに,更に剣道とは如何にも厳しい。遊び過ぎだ。とりあえず,防具はまだ買っていないので,当分はひたすら竹刀を振るのみだ。体の衰えも顕著で,3尺9寸の竹刀が振れない。物理的に振れないのではなくて,自分が思うようには振れていないのだ。なるほど,大学の同級生だったスポーツ選手達も,今や殆どが引退し,指導者や解説者になるわけだ。

 そういった意味では,競馬の騎手は超人だ。横山典弘,武豊,内田博幸など,ちょうど自分と同じ世代の人間がバリバリ活躍しているし,地方競馬では石崎隆之,的場文男のような50代半ばの騎手が毎日のように騎乗している。

 5月5日の朝刊スポーツ紙に『桑島孝春騎手引退』の記事が出た。驚いた。南関東最年長の55歳だからそろそろ......という感じはしないでもなかったのだが,前日の5月4日も普通に場内でお会いしたし,そんな素振りは全くなかった。後に弊社トラックマンに聞いたが「新聞記事が出る前日に厩舎へ行ったけど,そんな話も,感じもまるでなかった」と。免許更新は6月。どうやら5月一杯でムチを置くらしい。所属厩舎の石井勝男調教師など,ごく一部の人達だけが知っていたようだ。さて,どこから漏れたのか。まあ,そんな話はどうでもいい。

 いかにも桑島さんらしいが,本当にこっそりムチを置くつもりだったのだろうか?ゴールデンウイークの開催が船橋の5月最初で最後の開催。ということは,何らかのアナウンスがなければ,地元船橋での勇姿を目に焼き付けることすら出来ない。あとで引退セレモニーをすると言っても,それでは遅いのだ。日刊紙にリークしたのは恐らくそう思った者の「犯行」なのだろう。聞くところによると,相当バタバタした挙句,最終日に花束贈呈式という形でラストランのセレモニーが開かれた。

 桑島孝春騎手は1955年,北海道浦河町の出身。71年,16歳より船橋競馬の高松弘之厩舎に所属し,地元ラストランの5月7日現在で40,177戦4,712勝の成績。鉄人佐々木竹見から南関東リーディングを奪い,そして,1985年の第5回ジャパンカップではロッキータイガーに騎乗し,皇帝シンボリルドルフの2着に追い込む。その時の「水車ムチ」は桑島騎手のいわば代名詞となった。
個人的にはやはりヒノデラスタで制した2000年の東京ダービーだ。羽田盃は2着(勝ち馬イエローパワー),そして東京王冠賞3着(勝ち馬アローウィナー)のいわゆる負けコメントで「ダービーは俺が勝つと思うよ」と言った。イエローパワー,アローウィナーはどちらかと言うと快速馬で,更なる距離延長,そして確固たる本命馬不在の状況からの,半分リップサービス,半分本気のコメントだった。ダービーのレース後,真意を問うと,「そんな事言ったなぁ」と笑っていた。

 普段は話を聞きに行っても,「もっと若い奴取材してくれよ」といいつつ,答えてくれる。飄々としつつも,年下の取材者に対しても親切,丁寧に受け答えしてくれる。もちろん船橋騎手会長という立場もあるが,どちらかと言うと,シャイなひと,という印象である。
船橋ラストランとなった5月7日の最終レース。ベルモントノエルに騎乗し1番人気に推されが,直線先頭に立つも,中団から勢い良く伸びたレジアスに交わされ2着であった。交わされてからも諦めることなく,最後までしっかりと追っていた姿を,しっかりとこの目に焼き付けておいた。

 競馬の騎手はやはり超人だ。体にガタが来ていても,それを隠し,師匠勇退後に残された若い厩舎が軌道に乗るまで頑張った。
「もうムチ置いてもいいよね」。桑島騎手はそう言って笑った。
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