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第199回 『ゴールデンウイークは千葉へ PART Ⅱ』

2025.07.18

 三里塚という場所は、成田空港をこの地に建設する際に、反対運動が起こった場所として認識していた。だが、その以前には宮内庁下総御料牧場が、この場所にあっただけでなく、明治天皇が行幸した際に競馬を観戦したコースの跡が、そのまま住宅地の道路として使われている。


 宿泊地となったホテルの周りに何かないかと思い、グーグルマップのアプリを開いた際に千明牧場の三里塚分場と、そのすぐそばにはコースの跡が確認できた。「とみさと未来馬フェスタ」のイベントに呼ばれなければ、この地に足を運ぶ機会は無かっただろう。そう思うと、競馬の神様が導いてくれたのかもしれないとも思えてきた。


 千明牧場を訪ねるために開いていた、スマホのグーグルマップの画面はいつしか、三里塚にあったコース跡の道路の中に入っていた。その画面はなだらかなカーブを描いていたが、画面から目を動かして、目の前の光景に視線を移してみると、確かに競馬場のコーナーのような道路となっている。


 そのままコースを歩き続けたい衝動にもかられたが、グーグルマップはまるでコースアウトしろと言わんばかりに、次の交差点で左に曲がるように指示を出してくる。


 その指示通りに歩いていると、住宅街の中に突然、歴史を感じさせる厩舎と、放牧地が目に入ってきた。
 1999年に種牡馬を引退したミスターシービーは、この地で余生を過ごすこととなる。隣の放牧地にはシービークインが繋養されており、2000年にミスターシービーが亡くなるまでの時間で親子繋養が叶えられた。


 2004年にシービークインが亡くなった後には、牧場内に2頭のお墓が作られた。事前にふるさと案内所のホームページで確認していたのだが、お墓参りに関しては事前連絡が不要だった。ただ、ホームページには競走馬のふるさと千葉連絡センターへ連絡をして欲しいとも書かれていた。「とみさと未来馬フェスタ」開催に当たっては、事前にこのイベントを企画していた我妻登鷹さんと、Zoomでの打ち合わせをしている。


 その際、競走馬のふるさと千葉連絡センターの方に、千明牧場へお墓詣りに行きたいと伝えてもらえますか?とお願いしていた。


 許可をもらったとはいえども、全く訪問したことのない牧場を訪ねるのは、やはり緊張する。千明牧場の敷地内には古くもしっかりとした造りの厩舎と、事務所のような建物があったが、そこには人だけでなく、馬の気配も無かった。


 それにもかかわらず、牧場は綺麗に保たれていたのは、関係者の方が頻繁に出入りして管理を行っているからなのだろう。その事実を物語るかのように、放牧地の至る所には掃除刈りの跡があった。


 ミスターシービーとシービークインのお墓を訪ねるために、掃除刈りされた牧草を踏みしめながら、放牧地の中へと入っていく。上空で飛行機が飛び交っているこの場所を、母仔がのんびりと過ごしていた光景が、目の前に現れたような気もしてくる。


 2頭のお墓の前には、数日前に供えられたと思われる花が供えられていた。自分の他にもこの場所を訪ねてきたファンがいたのだろう。お墓に手を合わせた時に、2頭が競馬界に果たした貢献を称えるとともに、「明日のイベントを成功させてください」ともお願いをさせてもらった。


 翌日の朝は飛行機の発着音で目が覚めた。フロントで耳栓ももらっていたが、それを使わずとも思ったより熟睡ができたのは、前日の長時間に及ぶ散歩で、身体が程よく疲れていたからなのかもしれない。


 その前日の天気と同様に、イベント当日も好天に恵まれていた。ボランティアスタッフの方が迎えに来てくれた車に乗って、会場へと向かう。会場内には日本中央競馬会、地方競馬全国協会といった幾多のブースがあり、その向こうには日本馬匹輸送自動車株式会社の協力により、最新型の馬運車でもある、オジュウチョウサン号も停められている。


 ひょっとしたら、とんでもないイベントの司会を引き受けてしまったのではと思った時、汗だくになった我妻さんが、「今日はよろしくお願いします!」と話しかけてくる。その熱意に少しでも応えなければいけないな、と気を引き締めていると、今日のイベントの総合司会を務める、グリーンチャンネルキャスターの星野涼子さんも姿を見せた。星野さんは、「ここまで凄いイベントだと思っていなかったので、緊張しますね」と話しかけてくる。自分もそうですね、と返しながら、天国のミスターシービーとシービークインにお願いします、と改めて願をかけた。
(次号に続く)

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