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第26回 そして,キッケンクリスは母国へと帰った

2011.02.16
 昨年,12月2日のサラブレッドデイリーニュース紙(Thoroughbred Daily News)に,このような見出しが付いた記事が掲載された。「LIVE AND KICKEN」
 高校を最後に英語の勉強を止めた自分が翻訳するなら,「キッケンは生きていた」とでもいうのだろうか。ここで語られるキッケンとはキッケンクリス(USA)のことである。

 03年のGⅠセクレタリアトS,04年のGⅠアーリントンミリオンを勝利したキッケンクリスは,引退後,日高軽種馬農協(HBA)に購入され,05年からHBA門別種馬場にて繋養。だが,この数年,リーディングサイアーランキングの上位が固定された日本では目立った産駒を残すことができなかった。

 そんな中,HBAが2010年度を以て種牡馬事業の停止を発表。「家無き子」ならぬ「馬房無き馬」となりそうだったキッケンクリスを生まれ故郷に戻そうと奮闘したのは,現役時のオーナーだったBrushwood StableのBetty Moran's(ベティ・モーラン)夫人,その橋渡しを行ったのはレキシントンでWinchester Farm(ウインチェスターファーム)の代表である吉田直哉さんだった。

 お互いが通っていた大学が近かったという接点から,仲良くさせていただいている吉田さんとは,生まれ故郷の吉田牧場を離れてアメリカに行かれてからも,メールやお電話をいただく間柄である。

 キッケンクリスが繋養地を変えるとの知らせを聞いたベティ・モーラン夫人は,アメリカでコンサイナー業を営む,Eaton Sales(イートンセールズ社)のReiley McDonald(ライリー・マクドナルド)代表に,アメリカへと戻すための協力を要請する。その時,マクドナルド代表が日本と交渉するための架け橋,いやこの記事でいうところの「white knight」となったのが,吉田氏だった。

 昨年の秋,とある会合で日本に帰国していた吉田氏と会食をした際に,キッケンクリスを母国に返すという計画を吉田氏から聞いていた。だが,全てが上手く行くまでは発表しないで欲しいと聞いていたので,先日,送られてきたメールに,サラブレッドデイリーニュース紙のPDFが添付されていたのを見たとき,これで記事にできるということよりも,無事にキッケンクリスが帰国できたんだな,という喜びを覚えた。

 とはいえ,自分の英語能力では,この記事に書かれた全てを読み取ったとは言えず,思案しかねていたところ,まるで日本とアメリカとでテレパシーが届いたかのように,吉田氏が翻訳してくださった文章を送ってくれたのだった。

 その際に吉田氏は,記事の中では書かれていなかったこんな事実も,メールの中に記してくれていた。「アメリカの関係者は,HBAからキッケンクリスを帰国させるに際して多大な理解をもらったこと,また,キッケンクリスがHBA門別種馬場や,その後,帰国までの繋養地となった新冠の三村ファームで大切に飼養されていたことに関しても,大変に感謝をしていました」

 実はモーラン夫人はキッケンクリスが日本に輸出されてからも,メッセージを送ったり,時にはプレゼントまで届けていたという。だからこそHBAとしても,その愛馬心に応えたのだろうし,また,関係者がしっかりとした管理を施して帰国させたことは,日本の種牡馬管理の技術レベルを証明できたともいえるだろう。

 近年の日本は海外における競走成績が証明しているように,種牡馬,繁殖牝馬の血統レベルが上がってきている。それに応じて,海外へ種牡馬が輸出されることも珍しくなくなってきた。だが,日本で応援していた競走馬が種牡馬となって海外に渡った時,消息が不明になったと分かったら,悲しい思いをするだけでなく,その国の競馬自体も嫌いになってしまうに違いない。

 キッケンクリスのことは,モーラン夫人の働きかけや,HBAとの間に入って骨を折ったマクドナルド代表,そして吉田氏の存在があったからこその希有な例かもしれない。だがキッケンクリスを通して,日本とアメリカの馬産における関係が,より深まったのも事実である。

 吉田氏は最後にメールにこう記している。「私もモーラン夫人の愛馬心に応え,日本にもその気持ちに応える関係者がいるということを紹介できて嬉しいです。日本と他国の架け橋になるという目標が叶えられたことも良いことで,この仕事が昨年一番の業績ではないかと思います」。
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