南関フリーウェイ
第80回 阪神タイガースメンコでお馴染み。船橋の矢野義幸調教師通算1000勝達成。
2021.07.26
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7月18日、船橋の矢野義幸調教師が通算1000勝を達成しました。1000勝達成は南関東競馬では4人目。メモリアル勝利を飾ったのはロッソアモーレ(父メイショウボーラー 4歳牝馬)で、鞍上は保園翔也騎手でした。
今年で開業20年目。NARグランプリ2014では管理馬サミットストーン(父ロージズインメイ)が年度代表馬を受賞。最近ではミューチャリー(父パイロ)が帝王賞(JpnI)で4着になるなど、多くの強豪馬を管理している矢野調教師ですが、ここに至るまでには波乱も味わいました。
騎手として携わっていた紀三井寺競馬場が、1988年(昭和63年)突然廃止に。その後は、野菜市場でのアルバイトで生計を立てながら現役続行への道を探していたそうです。「『筋がいいからこのまま市場で働けば?』って言われていたよ(笑)。当時は40歳を過ぎた騎手は調教師になるという時代。あの時37歳だったけど、あと10歳若かったら外国に行ってでも乗り続けたいという気持ちがあった」(矢野調教師)。
現役続行の道を模索する中、かしわ記念やダイオライト記念の優勝馬アイランドハンター(父シーホーク)を管理していた安藤榮作調教師との縁で船橋へ移籍。2002年に開業し、2006年には初めての弟子となる本橋孝太騎手を、2009年には二人目の弟子・小杉亮騎手を迎えました。今年、カジノフォンテン(山下貴之厩舎)でJpnIジョッキーとなった張田昂騎手も、2013年に所属騎手(現在は千葉県騎手会所属)としてデビューしています。
「うちの厩舎の基礎」とご自身も語っていらっしゃいましたが、矢野調教師といえばルースリンド(父エルコンドルパサー)を思い出す方も多いのではないでしょうか。厩舎開業間もなくの頃、JRAから転入したのがルースリンドで、当時は未勝利馬。素質を見抜いた佐藤隆騎手(2006年に落馬事故により逝去)が、「この馬で矢野調教師に初重賞を獲らせるよ」と話していたそうです。
そのルースリンドが、当時大井所属だった内田博幸騎手を背にスパーキングサマーカップ(SIII)で優勝し、厩舎に初の重賞タイトルをもたらしたのは2007年7月のこと。脚元に不安を抱えていたルースリンドでしたが、矢野調教師のもとで「チームルースリンド」となった皆さんが、4つの重賞タイトルを獲得するほどの名ステイヤーへと育て上げました。
2015年の羽田盃(SI)では、ルースリンド産駒・ストゥディウムが父譲りの見事な末脚を発揮して優勝。厩舎に初のクラシックタイトルをもたらしました。そして、今年の春、種牡馬となっているストゥディウムに産駒が誕生したとのこと。まだまだ続くドラマの行方も気になります。
1000勝達成直後の矢野調教師は、「勝てて嬉しいですね。でも、ひとつシャクに触ることがある・・・」とひと呼吸。周囲が「え?」となる中、「本橋に先を越されたことです」。一番弟子の本橋騎手はひと足早く、5月14日に1000勝を達成しました。「本橋にお祝いの言葉?言ってない。口きいてないから(笑)」とのことでしたが、弟子の1000勝に触れるあたり、その成長ぶりへの喜びがじんわりと伝わってきたような・・・。ご自身の1000勝が決まった時には、駆け寄った本橋騎手と喜びを分かち合い、記念撮影では二人の愛弟子に囲まれてとびきりの笑顔を見せていました。
「開業20年目か。そんなに経つかな。コツコツやってきたんやな。ありがたいことに開業からずっとうちにいてくれるスタッフも多いし、感謝しています。昔は5馬房からのスタート。今は医療や乗り役など、馬に対する技術も変わってきているし、たくさん預からせてもらっているから、ここまでやってこられたかな。そんな中でも、デビューできない馬もいたし、使っているうちに挫折した馬もいたからね。勝つのは大変だけど、預かった馬には1勝以上はさせてあげたいですね」。
「この先の目標?特にはない。お気楽な性格だからね、深く考えない(笑)」と、照れ隠しと喜びが混ざり合い、お笑い要素も感じさせるトークは矢野調教師ならではとも言えそう。保園騎手でのメモリアルについては「勝負服が(自分の現役時代と)似てるってことで(笑)」とニッコリ。自身が移籍する際に苦労した経験などから、人情の厚さでも知られる矢野調教師。ちなみに、厩舎スタッフには阪神ファン以外の方もいるそうです。
今年で開業20年目。NARグランプリ2014では管理馬サミットストーン(父ロージズインメイ)が年度代表馬を受賞。最近ではミューチャリー(父パイロ)が帝王賞(JpnI)で4着になるなど、多くの強豪馬を管理している矢野調教師ですが、ここに至るまでには波乱も味わいました。
騎手として携わっていた紀三井寺競馬場が、1988年(昭和63年)突然廃止に。その後は、野菜市場でのアルバイトで生計を立てながら現役続行への道を探していたそうです。「『筋がいいからこのまま市場で働けば?』って言われていたよ(笑)。当時は40歳を過ぎた騎手は調教師になるという時代。あの時37歳だったけど、あと10歳若かったら外国に行ってでも乗り続けたいという気持ちがあった」(矢野調教師)。
現役続行の道を模索する中、かしわ記念やダイオライト記念の優勝馬アイランドハンター(父シーホーク)を管理していた安藤榮作調教師との縁で船橋へ移籍。2002年に開業し、2006年には初めての弟子となる本橋孝太騎手を、2009年には二人目の弟子・小杉亮騎手を迎えました。今年、カジノフォンテン(山下貴之厩舎)でJpnIジョッキーとなった張田昂騎手も、2013年に所属騎手(現在は千葉県騎手会所属)としてデビューしています。
「うちの厩舎の基礎」とご自身も語っていらっしゃいましたが、矢野調教師といえばルースリンド(父エルコンドルパサー)を思い出す方も多いのではないでしょうか。厩舎開業間もなくの頃、JRAから転入したのがルースリンドで、当時は未勝利馬。素質を見抜いた佐藤隆騎手(2006年に落馬事故により逝去)が、「この馬で矢野調教師に初重賞を獲らせるよ」と話していたそうです。
そのルースリンドが、当時大井所属だった内田博幸騎手を背にスパーキングサマーカップ(SIII)で優勝し、厩舎に初の重賞タイトルをもたらしたのは2007年7月のこと。脚元に不安を抱えていたルースリンドでしたが、矢野調教師のもとで「チームルースリンド」となった皆さんが、4つの重賞タイトルを獲得するほどの名ステイヤーへと育て上げました。
2015年の羽田盃(SI)では、ルースリンド産駒・ストゥディウムが父譲りの見事な末脚を発揮して優勝。厩舎に初のクラシックタイトルをもたらしました。そして、今年の春、種牡馬となっているストゥディウムに産駒が誕生したとのこと。まだまだ続くドラマの行方も気になります。
1000勝達成直後の矢野調教師は、「勝てて嬉しいですね。でも、ひとつシャクに触ることがある・・・」とひと呼吸。周囲が「え?」となる中、「本橋に先を越されたことです」。一番弟子の本橋騎手はひと足早く、5月14日に1000勝を達成しました。「本橋にお祝いの言葉?言ってない。口きいてないから(笑)」とのことでしたが、弟子の1000勝に触れるあたり、その成長ぶりへの喜びがじんわりと伝わってきたような・・・。ご自身の1000勝が決まった時には、駆け寄った本橋騎手と喜びを分かち合い、記念撮影では二人の愛弟子に囲まれてとびきりの笑顔を見せていました。
「開業20年目か。そんなに経つかな。コツコツやってきたんやな。ありがたいことに開業からずっとうちにいてくれるスタッフも多いし、感謝しています。昔は5馬房からのスタート。今は医療や乗り役など、馬に対する技術も変わってきているし、たくさん預からせてもらっているから、ここまでやってこられたかな。そんな中でも、デビューできない馬もいたし、使っているうちに挫折した馬もいたからね。勝つのは大変だけど、預かった馬には1勝以上はさせてあげたいですね」。
「この先の目標?特にはない。お気楽な性格だからね、深く考えない(笑)」と、照れ隠しと喜びが混ざり合い、お笑い要素も感じさせるトークは矢野調教師ならではとも言えそう。保園騎手でのメモリアルについては「勝負服が(自分の現役時代と)似てるってことで(笑)」とニッコリ。自身が移籍する際に苦労した経験などから、人情の厚さでも知られる矢野調教師。ちなみに、厩舎スタッフには阪神ファン以外の方もいるそうです。