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北海道馬産地ファイターズ

村本浩平 北海道馬産地ファイターズ

第135回 『ブエノスアイレス午後1時 PARTⅢ』

 元々、別荘として使われてきたはなれを改装したホテルの客室は、いくつか戸を開け放ったかのような冷たい風が吹き込んでくる。

 ブエノスアイレス市内からハイウェーで北西に130㎞ほど。ガイドブックではガウチョ(18世紀末から牧畜業に従事してきた、アルゼンチン版カウボーイ)が暮らす街とされている、サン・アントニオ・デ・アレコ。

 こうした文化的背景もあるのか、アルゼンチンを代表する牧場のほとんどがこの近郊にあるという。感覚的にはアルゼンチンの日高地方とでもいうのだろうか。

 さすがガウチョの暮らす街というのか、スーパーやレストランと並んで馬具屋もあったのだが、日本の実用性の高い馬具とは違って、ガウチョが使うような装飾品の馬具や、予想通りにガウチョパンツも販売されていた。

 買い物や食事(アルゼンチンは何を食べても美味しいです)に苦労することは無かったのだが、困ったのは宿泊したホテルの客室だった。さすが元別荘地というのか、ロケーションは素晴らしく、敷地内にはプールもあったのだが、建物にはそこまでのゴージャス感は無かった。

 しかもブエノスアイレスよりも、日中と夜との寒暖の差が激しくなった感もあり、日が暮れてからだと、ダウン無しで外を歩けない程に冷え込む日さえあった。唯一の暖房設備は備え付けてあったエアコンだったのが、リモコンで温風に切り替えても、いっこうに室内の温度は上がってこないどころか、冷たい空気だけが部屋を循環していた。

 寒さをしのぐべくベッドへと潜り込むも、そう簡単に眠りにつけるわけがない。とりあえず部屋の電気を消し、古くからの友人がこの取材に行く前に話してくれた、アルゼンチンの牧場や生産界についての話を暗闇の中に思い返してみた。

 その友人は数ヵ月ほど、アルゼンチンの牧場で働いていた。聞くところによると、アルゼンチンには生産規模の大きな牧場が幾つかあるという。そこでは種牡馬を繋養しているだけでなく、調教施設も備えられており、オーナーブリーダー的な管理が行われているらしい。しかも、こうした規模の大きなオーナーブリーダー同士の対抗戦が、競馬の核になっているとも教えてくれた。

 事前に調べてきた情報だけでなく、実際に競馬場に行った際にも改めて感じたことだが、アルゼンチン競馬の賞金は決して高くはない。

 一説には南関東の賞金レベルという説もあるようだが、経済状況の悪化が続く国内の現状からすると、それよりも遙かに安いのではないかと思われる。

 そんな賞金体系で、馬を所有しようというオーナーはなかなか出てこないだろう。となると、種牡馬やトレーニング施設も備えたオーナーブリーダーとして、経費をそれほどかけずに生産を行い、優れた馬が出てくれば国外で走らせる、もしくは他のオーナーにトレードしてしまった方が、経営的にはいいのかもしれない。

 気付いたら数時間は眠っていたようだ。朝食は食堂でアルゼンチン名物とされるミルクジャムをパンに塗り、オレンジジュースで胃の中に流し込む。次の日もその次の日も同じメニューが出てきた時には辟易したが、ずっとここに住むわけでは無いのだからと思い、流れ作業のように、胃の中を糖分で一杯にした。

 この日のロケ先となった牧場はHaras Carampangue。いわゆる、規模の大きなオーナーブリーダーと言えるだろう。牧場にはアルゼンチンを代表する名種牡馬であり、そして日本でもサトノダイヤモンドの母の父として知られるOrpen(USA)が繋養されている。代表のIgnacio Pavlovsky氏には、このロケにおいて多大なる協力をしていただいており、先に訪れたパレルモ競馬場やサンイシドロ競馬場でも、様々な便宜を図ってくれていた。

 すっかり顔なじみになったとも言えるPavlovsky氏は、既にロケ地として牧場内の様々な場所を選んでいたようで、会うなり我々を車に乗せると、牧場内を案内し始める。

 敷地内に入ったときから気付いていたのだが、どこを見回しても馬房らしき建物が見当たらない。しかも牧柵もほぼ無く、杭と杭の間を見ると針金が通っていた(後で電流が流れていると知らされる)。

 気になるのは放牧地の草が一様に長く、場所によっては1歳馬の膝丈まで牧草が伸びていたことだった。普段は採草地として使っているのかなと思ったが、これがHaras Carampangueでは当たり前の長さだという。

 呆然とする我々に向かって、Pavlovsky氏がこう話し出す。

 「土が素晴らしいから、これで馬が良くなっていくんだ」

 その時、中学生の頃に授業で学んだ、「アルゼンチンの肥沃な大地パンパ」という言葉が頭をよぎった。

(次号に続く)