第5コーナー ~競馬余話~
第174回「4代」
2025年8月8日、北海道新冠町の明和牧場で余生を送っていたグラスワンダー(USA)が高齢から来る多臓器不全のため30歳の生涯を閉じた。
尾形充弘調教師に育てられ、1997年の朝日杯3歳S(現朝日杯フューチュリティS)、98、99年の有馬記念、99年の宝塚記念とGⅠ4勝を含め15戦9勝の成績を残した。
特に2歳シーズンの4戦は鮮烈だった。デビュー戦が3馬身差、続くアイビーSが5馬身差、3戦目の京成杯3歳S(当時)が6馬身差と条件が高くなるほど2着馬との差を広げていった。そして朝日杯3歳Sだ。
単勝オッズ1.3倍の圧倒的な1番人気で臨んだレースは1000㍍通過が57秒1というハイペースで流れた。中団で構えていたグラスワンダーは的場均騎手の手綱に促され、3コーナー手前からスパート開始。最後の直線では粘るマイネルラヴ(USA)を2½馬身抑えて優勝、デビューからの連勝を4に伸ばした。マークしたタイムは中山競馬場の芝1600㍍で1分33秒6。その7年前の朝日杯3歳Sでリンドシェーバー(USA)がマークした1分34秒0を0秒4更新する2歳のコースレコードだった。2レース前に行われた古馬3勝クラスの市川Sの勝ちタイムはグラスワンダーより0秒7も遅い1分34秒3だった。
8戦8勝のまま引退し、同じく朝日杯3歳Sで優勝したマルゼンスキーの再来と言われるようになった。それはグラスワンダーがアメリカ産馬で、当時のルールでクラシックレースに出走することができないからだった。かつてマルゼンスキーも同じような境遇だったためイメージが重なった。グラスワンダーの3歳の目標はNHKマイルCとなった。
しかし年明けに右後ろ脚の骨折が見つかり、計画は白紙になった。その後の現役生活は常にけがとの闘いだった。それでいながら有馬記念2勝、宝塚記念優勝などの実績を残した。いかに潜在能力が突出していたかの証明だ。
グラスワンダーの真価が発揮されたのは種牡馬になってからだ。01年に種付けを開始。スクリーンヒーロー(08年ジャパンC)、セイウンワンダー(08年朝日杯フューチュリティS)、アーネストリー(11年宝塚記念)と3頭のJRA GⅠ馬を送り出した。その強い遺伝力は後継種牡馬にも受け継がれた。
スクリーンヒーロー産駒のモーリスは国内で安田記念などGⅠ3勝を挙げたほか、香港でもGⅠ3勝という快挙を成し遂げた。そしてモーリスも国内で4頭のGⅠ馬を送り出した。ピクシーナイト(21年スプリンターズS)、ジェラルディーナ(22年エリザベス女王杯)、ジャックドール(23年大阪杯)、アドマイヤズーム(24年朝日杯フューチュリティS)だ。ジェラルディーナをのぞく3頭はいずれも牡馬だ。ダイナカール→エアグルーヴ→アドマイヤグルーヴ→ドゥラメンテのように牝馬を介した例はあるが、グラスワンダー→スクリーンヒーロー→モーリス→ピクシーナイト、ジャックドール、アドマイヤズームのように父系4代がいずれもGⅠ勝ち馬になった例はこの系統以外にない。この父系がさらに広がり、いつしか「グラスワンダー系」が出来上がっても不思議ではない。
グラスワンダーと同じ95年生まれは粒ぞろいだった。ダービー馬はスペシャルウィーク。皐月賞と菊花賞の二冠に輝いたのがセイウンスカイ。当時は円高で外国産馬のレベルも高かった。日本調教の3歳馬で初めてジャパンCを制し、仏・凱旋門賞でも2着になったエルコンドルパサー(USA)、日本調教馬として初めて英GⅠ勝ちを収めたアグネスワールド(USA)など名馬がそろっていた。そのほかにも高松宮記念勝ちのキングヘイローがいた。
キングヘイローはローレルゲレイロ、カワカミプリンセスというJRA GⅠ馬の父となったが、生産界には母の父としての貢献度が高い。世界ランキング第1位になったイクイノックスの母の父がキングヘイローである。母の父にキングヘイローを持つ、もう1頭のGⅠ馬がピクシーナイトである。そうモーリス産駒だ。ピクシーナイトは父の父の父がグラスワンダーで、母の父がキングヘイローと同期の名馬の遺伝子を体内に持つ。
24年に種牡馬活動を開始したピクシーナイトは25年生まれが初年度産駒になる。21年のスプリンターズSではレシステンシア以下に2馬身差をつける完勝だった。スプリンターズSがGⅠに昇格した90年以降、3歳牡馬の優勝は23年ぶり4頭目の快挙だった。グラスワンダー系の枝葉を広げてくれそうな有望種牡馬として期待したい。