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第111回 新3歳ダート三冠競走への道と大井競馬場の思い出

2024.02.26

 2月14日、大井競馬場で新たな3歳ダート三冠競走の前哨戦のひとつ、雲取賞(JpnIII)が行われました。東京都で一番高い雲取山の名を冠したこのレースは、勝ち馬の多くが南関東競馬の第一線で活躍してきた登竜門としても知られています。

 ちょうど40年前、1984年の優勝馬は桑島孝春騎手を背にしたロッキータイガー。帝王賞を含む6連勝、1985年のジャパンカップではシンボリルドルフの2着になるなど、今もなお南関東の競馬ファンに語り継がれる存在です。他にも東京ダービー、かしわ記念の優勝馬・サプライズパワー、川崎記念をレコード勝ちしたエスプリシーズなど名馬たちの蹄跡が続々と。

 重賞となった2019年、第1回雲取賞の優勝馬・ヒカリオーソは東京ダービーを、翌年の優勝馬・ゴールドホイヤーは羽田盃を制しています。ランリョウオー(2021年)、シャルフジン(2022年)、そして昨年の優勝馬ヒーローコールはクラッシックのタイトル獲得にこそ及ばなかったものの、それぞれ重賞ウイナーとなる活躍ぶり。

 雲取賞は南関東クラシックのみならず、南関東競馬の「未来予想図」という意味合いを持つレースでもありました。

 そして今年。ダートグレード競走となった雲取賞(JpnIII)最初の優勝馬は、JRAから参戦したブルーサン(栗東 川村禎彦厩舎)。和田竜二騎手を背にスタートを決めて逃げると、最後の直線では後続を突き放す走りで2馬身差での勝利。初コース・大井競馬場のタフな馬場をもろともせず、重賞初制覇となりました。

 雲取賞では地方所属馬上位2頭、中央所属馬は5着以内の上位2頭にクラシック一冠目・羽田盃への優先出走権が与えられることから、1着ブルーサン(JRA)、2着アマンテビアンコ(JRA)、3着サントノーレ(大井)、5着フロインフォッサル(船橋)の4頭が切符を獲得。1番人気で4着だったイーグルノワール(JRA)は惜しくも権利獲得には至りませんでした。

 

 JRA勢のワンツー決着となったこのレースですが、ともに地方競馬とも馴染み深い重賞ウイナーがいる血統。ブルーサンの母グッドレインボーの半弟にはホッカイドウ競馬でデビューし、地方にも中央にも所属経験があるリュウノユキナ(9歳 船橋・齊藤敏厩舎)、アマンテビアンコの母は中央・地方それぞれの在籍時にダートグレード競走を制したユキチャン。

 これまで中央競馬中心だったファンも、ブルーサンやアマンテビアンコのような血統を知ることで、地方競馬への関心が高まることがあると嬉しいですね。

 ここでふと思い出したのは、競馬を始めたばかりの頃に観戦した初めて帝王賞。長時間並んで待った開門と同時に、指定席の整理券獲得のために猛然とダッシュする人々の勢いのすごさ。私も走らなくちゃ、整理券をもらわなくちゃ!と思っても、普段から走り込んでいないので思うようなスピードが出ず、さらに自分も含めて周囲の必死さが可笑しくて、馬が走る前に人が全力疾走してる!とゲラゲラ笑いながら走った記憶があります。

 整理券は“後で合流する人の分も含めて一人4枚までもらえる”という、これまたあの時代ならではのことで、なんと!必死で走ったのに、その場にいたのに、数人前で配布終了という事態に!

 競馬で例えるならば、調教無しでいきなりテンのスピード勝負のレースに出たような惨敗っぷり。うー!来年は走り込みしてから来るぞ!と、ほんの一瞬だけ誓うと同時に、発売枚数の多い他の席の列にダッシュで並びなおす・・・という今では想像もできないような世界。インターネット予約がない平成時代のことでした。

 そういえばあの時の勝ち馬は誰だったのか、どこから見たのか、人ごみが壁になりレースは2秒くらいしか見えなかったことがあったけど、あれはあの時のこと?別の時?と記憶もあやふや。ただ、楽しかった思い出は残っています。

 さて、いよいよ始まる2024年の春。新しいダート三冠競走ということで、初めて大井競馬場を訪れる競馬ファンもいることでしょう。平成から令和へと時は流れ、レースの前に人が走らずとも良い時代になりました。「新ダート三冠競走」元年、地方競馬の楽しさをたくさん見つけていきましょう。

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