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第11回 形は変わってもSS支配

2009.02.25
 1995年から続いていたサンデーサイレンス(SS)の時代がついに終わった。

 13年間,リーディングサイアーの座にあったSSは08年,ランキング7位に終わった。代わって首位に立ったのはSSの息子アグネスタキオンだった。
 キャプテントゥーレ(皐月賞),ディープスカイ(NHKマイルカップ,ダービー),リトルアマポーラ(エリザベス女王杯),ダイワスカーレット(有馬記念)と4頭がG15勝を挙げるなど産駒は計129勝を挙げ,33億円あまりの賞金を稼いだ。

 2位もSS2世のフジキセキ。ファイングレイン(高松宮記念),エイジアンウインズ(ヴィクトリアマイル),カネヒキリ(ジャパンカップダート)と3頭がG1勝ちを収め,産駒は94勝。獲得賞金は24億円を超えた。3位はダンスインザダークでこれまたSS2世。G1勝ち馬こそいなかったが,出走回数は最多の1,337回にのぼり,賞金は20億円を超えた。

 SSは計43勝で賞金は18億2,000万円あまり。94年から続けていたG1勝利もついに途絶えた。最盛期には年間300勝以上し,90億円以上稼いだことを思えば寂しい数字だが,さすがSSという部分もある。SSは02年夏にこの世を去った。08年,現役だったSS産駒は5歳以上。2歳から5歳までフルラインアップで挑んだアグネスタキオンとは層の厚さが違った。それでいて1頭当たりの賞金獲得額を表すアーニングインデックスは2.15。トップ20位の中では唯一「2」を超えたのは意地というしかない。

 ダービー6勝,皐月賞7勝,春秋合わせた天皇賞9勝,有馬記念5勝などの成績は,いずれも各レースの史上最多勝記録。94年の朝日杯3歳S(現朝日杯フューチュリティS,フジキセキ)に始まり,07年有馬記念(マツリダゴッホ)まで産駒のG㈵勝利は合わせて「71」。おそらく今後も破られることのない大記録だろう。

 SSが日本競馬に残した影響は計り知れない。産駒の勝ち星第1号は94年6月18日。札幌競馬場の新馬戦,南井克巳騎手(現調教師)が手綱を取ったキタサンサイレンスだった。2番人気に支持されていたキタサンサイレンスは2番手から抜け出し,2着に1馬身4分の1差をつけて快勝した。これがSS産駒の初出走でもあった。翌月の札幌3歳S(現札幌2歳S)では1番人気のプライムステージ(岡部幸雄騎手)が優勝して重賞初制覇。キタサンサイレンスが2着になって上位独占を果たした。初のG㈵勝ちは,その年(94年)12月の朝日杯3歳S(フジキセキ),初のクラシック制覇は95年皐月賞(ジェニュイン)とあっという間に日本の競馬を「制圧」した。

 以来,08年末までに延べ135頭の重賞勝ち馬が生まれ,このうち42頭がG㈵馬となった。15年間で産駒が得た賞金総額は実に770億円を超えた。

 日本に輸入された時の購買価格は1,100万ドル,当時の為替レートで約16億5,000万円だった。今となってはこんなに「安い買い物」はなかったといえるだろう。

 リーディングサイアーの座を降り,表舞台から姿を消したかに見えるSSではあるが,08年のブルードメアサイアーランキングでは,2位のトニービンの倍近い60億円もの賞金を稼ぎ,堂々の首位になった。ヴァーミリアン(父エルコンドルパサー),レジネッタ(父フレンチデピュティ),トールポピー(父ジャングルポケット),スクリーンヒーロー(父グラスワンダー),セイウンワンダー(父グラスワンダー)と5頭がG㈵を制した。ブルードメアサイアー部門では06年に初めて首位に立ってから,これで3年連続のトップである。

 形は変わったが,SS支配の構図は少しも変化していないのかもしれない。


JBBA NEWS 2009年2月号より転載
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