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第19回 ビユーチフルドリーマー

2009.10.01
 不勉強を恥じつつ告白すると,水沢競馬場に「ビューチフル・ドリーマーカップ」という重賞レースがあるのを知ったのは,つい2,3年前のことだった。このレース名を見た瞬間,「さすが伝統ある馬産地。岩手競馬がやることは粋だなあ」と感じたのを覚えている。
 8月30日,今年もビューチフル・ドリーマーカップが行われた。歴史を重ねて,第35回。レースは単勝1.2倍という圧倒的な1番人気に支持されたクインオブクイン(牝7歳,桜田康二厩舎)が2着マツリダワルツ(牝5歳,城地藤男厩舎)に4馬身差をつけて優勝した。これが14勝目(57戦)。笠松競馬から移籍して,これで盛岡,水沢競馬場では4戦3勝。今年に入ってからだけでも6勝とベテラン牝馬は完全復活したようだ。

 話を元に戻そう。「ビユーチフルドリーマー」は1903(明治36)年に英国で生まれた1頭の牝馬である。父エンスージアストは英2000ギニーの優勝馬で,母レポーソ(その父アムフイオン)という血統を持つ。出走歴はなく,英国で1頭の出産を経験していたといわれる。1907(明治40)年,岩手県の小岩井農場が輸入した。

 小岩井農場は1891(明治24)年に岩手県雫石町に創設された。共同創始者である小野義真(日本鉄道会社副社長),岩崎弥之助(三菱社社長),井上勝(鉄道庁長官)の3人の頭文字をとって「小岩井」と命名された。

 日本競馬の草創期,民間の小岩井農場は宮内庁の下総御料牧場(千葉県成田市)とともに生産界を牽引した。ビユーチフルドリーマーは血統改良を目的に,1907年に輸入された20頭の繁殖牝馬のうちの1頭だった。

 今にして思えば,この20頭は「宝の山」だった。プロポンチス,アストニシメント,フラストレート,ヘレンサーフ,フロリースカツプなど後に数々の名馬を送り出すことになる「基礎牝馬」が数多く含まれていた。

 ビユーチフルドリーマーが輸入されて100年あまりが経ち,「ビユーチフルドリーマー系」とも呼ばれるようになった一大ファミリーを見てみると,名馬の宝庫である。以下に主な活躍馬だけ馬名を並べてみた。

 カブトヤマ(ダービー),ガヴアナー(ダービー),ロツキーモアー(天皇賞・秋),ハクリヨウ(菊花賞など),ジツホマレ(オークス),ケゴン(皐月賞),メイヂヒカリ(菊花賞など),カズヨシ(皐月賞),オーテモン(天皇賞・秋),オーハヤブサ(オークス),シンザン(ダービーなど),ヒロヨシ(オークス),タマミ(桜花賞),タケフブキ(オークス),タケホープ(ダービーなど),エリモジョージ(天皇賞・春など),インターグシケン(菊花賞),ビクトリアクラウン(エリザベス女王杯),エルプス(桜花賞),ニッポーテイオー(天皇賞・秋など),タレンティドガール(エリザベス女王杯),レオダーバン(菊花賞),テイエムオーシャン(桜花賞など)。3冠馬シンザンを含む4頭のダービー馬など次から次へと名馬を送り出してきた。

 まだG1タイトルには届いていないが,現役ではメイショウバトラー(牝)がビユーチフルドリーマーの一族だ。9歳の今年も1勝を加えるなど,息の長い活躍を続けている。メイショウバトラー(00年生まれ)の母系をたどってみよう。母はメイショウハゴロモ(93年)。その母メイシヨウエンゼル(84年),さらにグリンホースメン(70年),ハイポンド(64年),キヨ(57年),タケサクラ(53年),ドリーマー(45年),ブランチ(34年),第三ビユーチフルドリーマー(17年)とさかのぼり,ビユーチフルドリーマーにいたる。ビユーチフルドリーマーからメイショウバトラーまで10代を重ねている。

 人々の記憶などすぐに薄れてしまう。ビユーチフルドリーマーのような名馬がレース名の中に残っていることは重要だ。100年以上前に来日し,日本に大きな足跡を残した牝馬。1年に1度は振り返りたいと思う。


JBBA NEWS 2009年10月号より転載
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