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第5コーナー ~競馬余話~

有吉正徳 第5コーナー ~競馬余話~

第116回 「開国」

 2020年10月10日、中央競馬で快記録が生まれた。3きょうだいによる同一日勝利だ。

 最初に白星を飾ったのは京都競馬第1レースのマルモルーラー(牡2歳、栗東・木原一良厩舎、父ルーラーシップ、母マルモセーラ)だった。ダート1800㍍の2歳未勝利戦。幸英明騎手を背に13頭立ての1番枠からスタートし、道中4番手から最後の競り合いを制した。デビュー2戦目の初ダートで動きが一変した。

 これに続いたのがマルモマリア(牝5歳、栗東・木原一良厩舎、父ヨハネスブルグ(USA)、母マルモセーラ)だった。新潟競馬の第3レース、3歳以上1勝クラスの牝馬限定戦(ダート1200㍍)に出走し、3番手で4コーナーを回ると、残り200㍍付近で先頭に立ち、そのまま押し切った。亀田温心騎手とは2度目のコンビだった。

 最後を締めくくったのはマルモネオフォース(牝4歳、栗東・木原一良厩舎、父ワークフォース(GB)、母マルモセーラ)だった。京都競馬第7レース。3歳以上1勝クラスの芝1800㍍戦は8頭立てだった。3番枠から出たマルモネオフォースは富田暁騎手の激励に応え、ゴールでは1/2馬身差、アタマ差という接戦をものにした。

 日本中央競馬会(JRA)によると、記録が残る1977年以降で、3きょうだいが同じ日に勝利を挙げるのは史上初めてだという。

 3きょうだいの母マルモセーラは、3きょうだいと同じ木原一良調教師に育てられた重賞勝ち馬だ。

 2008年3月12日、マルモセーラは父クロフネ(USA)、母マイクロス(母の父タマモクロス)との間に誕生した。2010年7月10日、阪神競馬場でデビュー。2戦目で未勝利を脱出すると、3戦目に同年11月のファンタジーSを選んだ。

 好スタートからいったんは先頭に立つシーンもあったが、3コーナー手前では4番手に控えた。ずっと内の経済コースを走り、最後の直線で早めに先頭に立ち、ゴールに飛び込んだ。3着までが同タイム、5着までの着差がハナ、ハナ、クビ、クビという接戦を制して重賞のタイトルを獲得した。年末にはGⅠの阪神ジュベナイルフィリーズ、年明けには桜花賞にも駒を進めたが、2桁着順に終わった。2012年7月の賢島特別(6着)を最後に現役生活に別れを告げ、繁殖生活に入った。

 マルモセーラの産駒5頭はいずれも母と同じ木原一良厩舎で競走馬になった。エンパイアメーカー(USA)を父に持つマルモレイナ(牝6歳)と父エスケンデレヤ(USA)のマルモアステリア(牝3歳)はすでに登録を抹消しており、今回勝った3頭が現役を続けている。マルモセーラは子出しがよく、オルフェーヴルの1歳牝馬、エイシンヒカリの当歳牡馬がいる。

 JRAのホームページでマルモセーラを検索してみた。

 目を引いたのは馬名意味だった。「冠名+日本に開国を迫ったペリー提督の母名より」との説明があった。クロフネの娘だったマルモセーラだから、ペリーにまつわる馬名が考えられたわけだ。そういわれれば、幕末の頃、米国から「黒船」4隻を率いて浦賀沖に停泊したことを漠然と知ってはいるが、ペリーについて、ほとんど知識がない。早速「国史大辞典」(吉川弘文館)を調べてみた。

 マシュー・カルブレイス・ペリーは1794年4月10日、父クリストファー、母セーラの三男として生まれた。確かに母親の名はセーラだった。父と2人の兄も海軍軍人という一家に育ち、三男も15歳で海軍に入った。米海軍初の蒸気船を建造するなどし、「蒸気船の父」と言われたそうだ。

 クロフネの娘で2008年のスプリンターズSを制したのがスリープレスナイトだった。こちらは黒船来襲の時、幕末の世で流行したとされる狂歌「泰平のねむりをさます上喜撰(じょうきせん)たった四はいで夜も寝られず」からヒントを得た馬名だった。マルモセーラがクロフネの娘であること、セーラがペリーの母親の名前であること。3きょうだいの快記録のお陰で2つのことをしっかり記憶に刻むことができた。

 ちなみに戦前の1940年4月7日に中山競馬場で兄キヨクジツが中山農林省賞典障害(現中山大障害)を、妹のタイレイが中山4歳牝馬特別(現桜花賞)を制したのが、きょうだいの同一日重賞制覇の唯一の記録だ。