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第263便 種牡馬の眼

2016.11.14
 9月10日のこと、私は社台グループが営む共有馬主クラブの会員が参加する牧場ツアーに同行していた。ノーザンホースパークのグリルでの夕食会を終え、苫小牧のホテルへバスで移動する。闇がひろがる勇払原野にぽつんぽつんと光る家の明かりを眺めながら競走馬を見るためのツアーだなんて、縁のない人からすれば特殊な集団だろうなあと思った。
 すると私は、昨日の自分を思いだした。横浜の教会で「バッハのオルガン曲の夕べ」という催しがあり、友だちの娘さんがオルガン奏者で演奏するからと誘われ、すべてを静止するような気分で音色に浸っていたのだった。そうだ、昨夜の教会の集まりも、縁のない人からすれば特殊な集団であり、世の中って、あちこちにさまざまな特殊な集団があって成り立っているのだと考えた。
 みんな疲れて、バスの中は静寂である。私は昨夜の自分をよみがえらせていた。オルガン曲を聴きながら、明日は北海道の牧場だと思っていると放牧地にいる馬たちが映り、馬って音楽を聴くのかなあと思ううち、馬の孤独ということにも頭がはたらき、或る馬の眼がしっかりと浮かんできたのだった。
 或る馬というのは種牡馬ブライアンズタイムである。アロースタッドの厩舎で、晩年のブライアンズタイムと向きあう機会が私にあった。種牡馬は馬の神さまという思いかたがあるけれど、ブライアンズタイムは神さまのなかでも特別な神さまのように感じていた私は、その瞳を自分の眼に焼きつけたくて、ずいぶんと長いこと、そこを動かなかった。
 バスで私は勇払原野で光る明かりに、ブライアンズタイムの眼をかさねていて、なんだか幸せだった。
 ホテルに着いて間もなく、ホテル16階のラウンジでの、仲間うちの二次会に参加する。
 「明日ね、わたしのファームフェイスが阪神2Rに出るんですよ、浜中で。2歳未勝利。人気になりそう」
 と神戸から来た紳士がうれしそうにワインを飲み、持っていた競馬予想紙を私に渡した。
 「勝ってほしいなあ」
 祈るように紳士が言う。ファームフェイスには40人が出資しているわけだが、今夜どこかで、ほかの39人も紳士と同様に祈っているのだろうと思いながら私は予想紙をひらいた。
 ファームフェイスに予想のシルシがたくさんついている第2Rから私の眼が第3Rの出走馬へとゆき、3歳未勝利戦の出走馬の「メイショウバッハ」に気が止まってしまった。「バッハ」もそのワケだが、母父ブライアンズタイムという活字が心に差しこんできたのだ。
 私はトイレへ行き、日曜日には必ずウインズ横浜へ行く友だちにケイタイをかけ、「阪神3Rのメイショウバッハの単勝、買っといて」と頼んだ。
 9月11日の午前、よく晴れた早来ファームの放牧地にいるとケイタイが鳴り、「メイショウバッハ、勝った。3番人気で1,070円。1番人気が1.5倍と人気をかぶってたの。えへっ、おれもバッハに乗らせてもらった。ありがとう」と友だちがウインズ横浜からだ。
 「こういうことがあるから、人生、ヤメラレネェ」
 と私は早来の青空に言った。
 9月18日のセントライト記念についての予想紙のコラムに、次のように私は書いた。
 「春のクラシックロードに馬券で参加し、夏をこえ、秋をむかえようとして自分にとっての特別の馬が生まれる。私の場合、蛯名正義騎乗のディーマジェスティだ。
 蛯名にダービーを勝ってほしい。それも3冠達成でと、皐月賞で単勝とマカヒキとの馬単も取らせてもらった。
 ダービーのゴール前、エビナ!エビナ!と絶叫したが、くやしかった。くやしさも、特別の意味を深くする。
 ディーマジェスティの母の父はブライアンズタイムである。私は名種牡馬ブライアンズタイムの最晩年に、静内のスタリオンで会い、しっかりと見つめ、手のひらに馬体の温度を染みこませたという思い出がある。仕方なく老いていて、おだやかな眼をしていて、私は頭を下げてそこを離れた。
 その思い出も、特別な意味にもうひとつ何かを加え、ディーマジェスティが無事に蛯名でセントライトのゲートに入るのは、私にとって人生の祝祭だ。ディーマジェスティの単を買う」
 書いてうれしくなった。ブライアンズの眼のことを書けたからだ。

 9月29日のこと、「日刊競馬社気付」の手紙が私の家に回送されてきた。差出人は江東区豊洲に住む佐藤欽二さん。
 「9月18日の吉川さんのコラム競馬人情。晩年のブライアンズタイムに会い、仕方なく老いていて、おだやかな眼をしていて、私は頭を下げてそこを離れた、と読んで涙がこみあげてきました。
 その日のウインズ銀座で午後、ワイドと枠連だけで数レースを楽しみ、運よく4千円ほどのプラスでした。
 帰りにお寿司をちょっと食べ、(鹿児島の明るい農村)銘柄焼酎のオンザロックを飲み、アルコールのせいか年のせいかで涙腺がゆるんでいたか、またコラムを思いだして涙が出ました」
 一行あいて、
 「昭和55年11月23日の秋の天皇賞。プリティキャストが大逃げで勝ったレースが私の競馬の手始めです。自分の誕生日で、同日に長男が誕生しました。②―③を買った3千円が9万円になり、お産の費用になりました。
 それ以降、秋の天皇賞は、1、2、3の目を少し買います。
 柏木集保さんがプリティキャストを予想されていたかと思います。昭和21年生の男より」
 と続いていた。
 私は読みおえ、茫然とした。うれしくて、どこを見ていいのか、何を考えたらいいのか、まるでわからなかった。
 「こんな手紙、めったにもらえない」
 そう思いながら、ブライアンズタイムの眼を思いだそうとした。
 「よかったね」
 ブライアンズタイムの声がしたような気がした。
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