烏森発牧場行き
2017年の記事一覧
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第276便 雨の南武線で 2017.12.18
10月29日、朝、目をさますと6時半。ベッドで横になったままカーテンをあけると、雨。止みそうもない雨。夜には台風22号が関東上陸の予報。 「天皇賞なんだよ。かんべんしてくれよ。 おい、先週の菊花賞も大雨じゃないか。いったい、誰のせいでこんなことになるんだ」 がっかりして眺めている窓ごしのネズミ色の空に、雨に打たれて耐えている東京競馬場のケヤキの木が映った。 10時すぎ、武蔵小杉駅で立川行きの南武線に乗る。川崎から乗って...
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第275便 ラユロット 2017.11.17
夏の日のこと、ウインズ横浜からの帰り道、ひと息つきたくて、JR桜木町駅に通じる地下街のコーヒーショップに入ると、奥の方で笑顔になって手をあげる白髪の善三さんがいた。 テーブルをはさんで、「どうでした?」と善三さんが言い、「オケラカイドウ」と言って私は、いつものセリフのやりとりだなと思った。 「わたしは、今、けっこう機嫌がいいんですよ。ちっとも当たらなくて、帰ろうかなあと思って、でも最後に単勝の500円でも買おうかな...
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第274便 サビシーナ 2017.10.18
この数年、どうしてかしっかりと花を咲かせなかった庭のサルスベリが、今年はしっかりと咲いてうれしい。 「うれしいなあ」 サルスベリの花に声をかけた夏の朝、「芸術に生き55年充実の音色」という見出しの新聞記事を読んだ。バイオリニストの前橋汀子さんが、演奏活動55周年の記念リサイタルを全国で開いている。 「楽器を通して呼吸し、自分の中にある音楽を音にする。そういうことが若い頃より、自然にできるようになってきた気がする」 ...
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第273便 風の子になった菜七子 2017.09.13
「オダです。お久しぶりです。ほんとうにお久しぶりです」 と2017年7月29日の夜、電話がかかってきた。オダさんとはずいぶん会っていないが、年賀状のやりとりは続いていた。 「相変わらず、競馬が唯一の道楽です。それで相変わらず、週末は銀座へ通ってます。能のない人ねえ、ほかに何か見つけないのって、かみさんにバカにされているのも相変わらずです」 そう言って笑い声を聞かせたオダさんは、江東区門前仲町に住んでいる。 「今日も銀...
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第272便 絵を描く 2017.08.22
私は競馬場へ行くのと同じくらい、美術館へ行くのが好きだ。絵を見ている時間が、私の幸せなのだろう。 ガキのころから私は、どうして自分が絵を上手に描く人間に生まれてこなかったのかと嘆いた。誰かに嘆くわけではなく、自分に向けて嘆くのだが、その嘆きは年老いた今も消えていない。 生まれ変わったら、なんとしても絵を上手に描く人間に生まれたい。そんなふうに思い続けているものだから、上野へ絵を見に行ったとき、東京芸術大学の前ま...
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第271便 ナイスネイチャ 2017.07.14
1984(昭59)年チューリップ賞を勝ち、桜花賞にも出走(21頭立て19着)したウラカワミユキが、2017年6月2日午前0時8分に繋養先の北海道浦河町の渡辺牧場で死んだと新聞記事で知った。 6月2日がウラカワミユキの満36歳の誕生日で、サラブレッド牝馬の国内最長寿だったようだ。前日の朝に疝痛をおこし、治療したが回復の見込みがなくて安楽死となったという。 ウラカワミユキはナイスネイチャの母、と私のような競馬老人なら、すぐに思う。1...
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第270便 平塚ろうば会 2017.06.12
2009(平成21)年6月下旬から9月初旬まで、北海道新冠郡のビッグレッドファーム明和で暮らした。ビッグレッドファームを営む岡田繁幸さんの好意で私が住んだ住宅は、廃校になった明和小学校の跡地に残る教員用住宅である。 朝起きると、歩いて500歩ほど、種牡馬厩舎へマイネルラヴやタイムパラドックスやステイゴールドに挨拶をしに行く。 晴れた日、種牡馬たちは放牧地にいる昼すぎ、種牡馬厩舎に近い池のほとりのベンチに男が3人いて、「こ...
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第269便 石井さんの話 2017.05.17
4月3日、月曜日の夜8時すぎ、海辺にあるカフェバーのマスターから電話がきて、 「今日はもう歩いたんですか?」 と言うのだ。私がなるべく毎日、健康のために6,000歩ぐらい歩くようにしているのを60歳のマスターは知っているのだ。 「まだ今日は歩数ゼロ」 そう私が言うと、 「では、これから3,500歩ほど歩きましょう。歩かないと長生きできませんよ。ああ、そうか、もう長生きしてるのか」 とマスターが笑った。そのカフェバーまで私の...
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第268便 兄貴の法事 2017.04.12
阪神でフィリーズレビューの日、去年3月15日に旅立った兄、毅(タケシ)の一年忌法要で埼玉県加須市の寺へ出かけた。加須市は地味な地域だが、2011年3月に福島の原子力発電所が爆発し、被災した双葉町の住民が集団で避難生活をしたのが加須市の学校で、少しは地名を知ってもらえた。私の両親の出身地である。 その寺には、父の平作、母のトク、長兄の弘、次兄の毅、姉の節子、従兄弟の実が眠っている。鎌倉から加須まで電車に2時間座っているの...
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第267便 ノゲノキセキ 2017.03.13
2月3日、金曜日、節分の晩、「明日、手広のラーメン屋の改築の仕事なんだけど、夜、久しぶりに、学校をやってくれないですか」と「クワタさん」が電話してきた。手広は私の家の近くの地名だ。 年に何度か若い大工のクワタさんは、私に「学校」をやらせるのである。クワタさんは生徒になり、先生役の私が、「最近」、印象に残ったこと」を話するのだ。ちゃんと学校に行ってないから勉強したいのだとか、クワタさんが殊勝なことを言うので、私も...