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第373便 アラさん

2026.01.09

 2025年11月21日、日本軽種馬協会、創立70周年記念式典があり、功労者表彰を受けるひとりに私が選ばれた。恐縮である。JBBA NEWS誌に「鳥森発→牧場行き」を、30年連載していることへの表彰だ。
 私は原稿を書いてメシを食っている。何よりありがたいのは連載の仕事があること。なので私のほうが菓子折りのひとつも持って礼に行かねばならぬのに、表彰されるのは恐縮至極。
 20日の夜、明日はちゃんとしなければと、背広やYシャツやネクタイの用意をし、酒がダメになってしまっているのでノンアルを飲み、フウッとひと息、少し大げさに吐きだした。ひとり暮らしをしていると、ときどき、オーバーな演技をすることがある。
 無音とつきあううち、「荒木正博。アラさん」、と私は呟いた。一緒に表彰されるひとりに、元協会の副会長理事の荒木正博がいる。アラさんと一緒なのはうれしい。でも、アラさん、空へ行ってしまったし、奥さんがおいでになるのかな。
 仕事部屋へ行って私は、「牧場関係」とマジックペンで書いたダンボール箱から、見当をつけた何冊かのノートを手にした。
 前にも書いたように思うが、また書かせていただく。20歳代の初め、京都でバーテンをしていた時、カウンターにいた京都大学の先生が、
 「小林秀雄が言うとるんよ。日記をつけてな、3日坊主で終わるのは正常なんやと。人間はな、感じたことを書くのが日記やと思う。けどな、感じることは信じること。それは一生のあいだに、めったにないこと。で、今日も昨日と変わらん、同じやと思うたら、日記書くの、つまらん。で、続かんのやと。
 けどな、今日、誰と、どんな所で会った。どんな話をした。そうした記録を書いておけば、それはその人の貴重なものになる、と小林秀雄は言うとる。これは大事な話やで。記録が財産や」
 と、となりの若い人に言っているのを私は盗み聞きして、おれ、財産ないし、その記録という財産なら、おれにも作れそうだと、それから記録ノートを書き始めた。
 アラキファーム生産のアラホウトクが河内洋騎乗で桜花賞を勝ったのは1988(昭和63)年。1989年のノートに、荒木正博の記録があった。
 私は勝手に荒木正博をアラさんと呼んでいる。新冠駅に近い酒場「ナイトハウス」で、45歳のアラさんが歌う「北の漁場」を、52歳の私が聞いている。「北の漁場」に、「銭のおもさ」という歌詞が出てくる。
 「おれ、銭のおもさ、という本を書きたいな」と酔っぱらった私が言うと、やはり酔っぱらっているアラさんが、「銭のかるさのほうがいいべ」と言った。
 その晩、アラさんと別れたのは深夜2時。あくる日、朝10時にアラキファームを訪ねると、アラさんはトラクターの運転をしていて、
 「どこで寝たんだか寝ないんだか、5時から仕事してたわ」
 と奥さんの雅子さんが笑った。
 アラさんは牧場を始める前に、小樽のアジア商会というスポーツ用品店で働いていた。静内の高校を出てすぐのころで、そこでの数年が世間学の習いはじめだという。
 「一生は一度っていうのを、バカみたいに考えてさ、それでこれまでの人生を変えてやれって、自分で馬持って走らせてみるぞと思った。どうしてそう思ったのかね。
 そんなこと言うと誤解されちゃうかもしらんけど、生きものが好きだから馬の仕事をという言い方には抵抗があるなあ。経済のたたかいっていうのは、おっそろしく、ユルクない。
 これもまた誤解されるかもしらんけど、馬にびっちりつきあって暮らしていてさ、それはまあ真剣にやらにゃならんだが、真剣だけじゃ身がもたんで、うさ晴らしがなくちゃやってられない。真剣とうさ晴らしの両方が必要だよな。
 だからよ、なんでそんなに酒をって言われるけど、おれ、真剣に酔っぱらいたいだよ、アハハ」
 「それでアラホウトクが、そうだ、その通りだって走って桜花賞を勝った」
 と私が言っている。


 私が司会をする新冠町民センターでの、「ニイカップクラシック音楽祭」が10年近く続いた。新冠町民センターにはピアノがなく、前日に新冠中学校に借りて運ばなければならない。音楽祭を応援してくれているアラさん、村田牧場主、川島牧場主、樋渡牧場主、長浜牧場主らと一緒に、アラさんもピアノを持ちあげた。
 音楽祭が終わったあとの打ち上げ会で演奏者たちと乾杯し、その晩のアラさんの話を私はおぼえている。
 「若いころにつきあってた女に、クラシックの演奏会に誘われたんだなあ、札幌にさ。
 クラシックなんて聴いたことのない曲ばかりだし、始めはおもしろくなくてさ、座ってるのがつらかったよ。
 でもさ、好きな女がとなりにいるし、居眠りするわけにもいかんさね。
 がまんしているうちに、音楽はともかくとして、指揮者だの演奏者だのが必死にやってる姿に感動してきてさ、なんだか引きこまれちゃったね」
 というアラさんに私は乾杯した。
 そうそう、私は小樽にいて偶然に、花園町でアジア商会というスポーツ用品店の看板を目にし、ここでアラさんが働いていたのだと、その看板を背景にして私が立ち、通行人に頼んでカメラのシャッターを切ってもらい、後日、その写真をアラさんに見せたこともあったなあ。
 「良さんの行きつけの店で飲んでみたい」
 と東京で会ったアラさんが言い、新橋の「たんぼ」とか青山の「ジョイビーンズ」とかの酒場で、じつに愉快そうに酔っぱらうアラさんの笑顔もよみがえってくる。
 21日、新橋の第一ホテルの武典会場で、河野洋平会長から表彰状とトロフィーをいただき、ステージの椅子に並んだ功労者たち。
 私のとなりに荒木雅子さんがいて、
 「荒木さんとは、たくさんたくさん、お酒を飲みました」
 と小声で言うと、雅子さんは小さく頷いた。
 どうしてか私の脳裡に、雪が吹き荒れるアラキファームの厩舎が浮かび、そこに馬をじいっと見ている荒木正博がいた。

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