烏森発牧場行き
2020年の記事一覧
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第312便 サラ系セイシュン 2020.12.10
コロナ禍の年の8月、家のなかで激しく転倒。左手首を粉砕骨折して10日間の入院をした私は、11月になってもリハビリで週に2日の通院をし、ほかにも月に一度の循環器科の診察もあるので、病院にいる時間が多い。 病院でのさまざまな情景を目にしながら、 「この人、たぶん、営業で」 とたいていは紺系統の背広を着て、重そうなカバンをさげて歩いている硬い表情の人を見かけると、その人に私は注目してしまうのだ。 私は30歳代から40歳代はじ...
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第311便 竹やぶ、海、髪の毛 2020.11.13
風呂から出て、時計を見る。午前0時10分。かみさんは先に寝て、おれひとり。6畳ほどの板の間の、居間兼食堂の明かりを小さくして、バー「たられば」をオープンする。 一生懸命に仕事をして、あとは酒場で冗談をとばすこと。キザに思われるかもしれないが、おれの人生、それだけ。 そのように生きてきたのに、新型コロナウイルスのために酒場行きがアウト。仕方なくバー「たられば」で、ひとり、酔う日が続いている。冗談をとばせないのが空し...
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第310便 ビビリ 2020.10.12
ひとりで電車に乗っていたり、ひとりで海を見ていたり、ひとりで何処かのベンチに座っていたり、ひとりで酒場にいたりする時、私の脳裡に1頭の牡の鹿毛馬が出てきて、 「おお、ビビリ」 と声をかける。ビビリが出てきてくれるひとときは、私の人生の幸せなのだ。 1989(平成元)年のこと、春から夏にかけての3か月ほど、苫小牧市美沢で開業するノーザンホースパークのことで手伝う仕事があって、社台ファーム空港牧場(現在はノーザンファー...
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第309便 黄金旅程 2020.09.11
「浦和の安藤です。いつも年賀状をありがとうございます。年賀状のみのおつきあいでしたけれど、とてもうれしかったです。 夫の直行が6月4日に死去しました。コロナ禍なのにひとり旅で木曽路へ行き、宿で心筋梗塞に襲われてしまいました。71歳でした。 今日は7月13日です。それが手紙を書きたくなった理由です。直行は誰彼となく、お酒をのんだ時など、2009年7月13日のことを得意そうに話していました。 お忘れかと思いますが、2009年7月1...
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第308便 ヒニチジョウ 2020.08.11
「自分で電話が出来ればいいんですけど、最近は補聴器もつけたがらないから耳がダメで、それでわたしに電話してくれって言うんです。 ほんと、すみません。わがままなんです。毎日のように、よしかわさんに電話しろって。」 と世田谷の病院に長期入院しているKさんの奥さんから電話がくる。Kさんは86歳。 私は見舞いに行く。牧場ツアーに行って放牧地の草の上で冗談を言いあったときのこと、競馬場で一緒にレースを見てたときのこと、競馬場の...
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第307便 バー「たられば」 2020.07.10
「あと3日でダービー。スタンドに人がいない、新型コロナウイルスダービー、とか思いながら、そうか、おれ、ダービーのことを考えてる場合じゃないのだ。自分が食っていけるかいけないか、それを考えなくてはならぬのだ、と笑った」 と私にメールをしてきたのは、相模原市に住む34歳の原田くん。独身。タクシー運転手をしながら画家をめざしている競馬好き。数年前に府中の酒場で知りあい、原田くんが出品したグループ展に行ってからのつきあい...
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第306便 余計な心配 2020.06.11
私が買う馬券はめったに当たらない。だから、間違ったように当たると、いっぺんに幸せになる。その、いっぺんに幸せになる、というのが忘れられなくて、60年以上も馬券とつきあっているのだろう。 言わせてもらえば、馬券を買えないほどに貧しくはなるまいぞ。そう思って、必死に働いてきたつもりだ。馬券が私を、叱咤激励し続けてくれたのである。 競馬場でいっしょに馬券をやる若い奴が、 「よくもそんなにハズれ続けて、何十年も馬券をやっ...
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第305便 ウインズ休止 2020.05.14
「あんなに競馬が好きだったのに、競馬のテレビをつけても、見ているんだかいないんだか、何も反応しないで、ただぼんやりしてるんです。 認知症っておそろしい。人間って、こんなふうにもなっちゃうんだって」 と電話をしてきた勇さんの奥さんが、 「ただね、昨日、三度くらい、ヨシカワ、ヨシカワって、わたしに言うの。 ヨシカワが、何、って聞いてみても、ただ黙って、話は続かないんです。 すみません、ほんとうに勝手なお願いなんですけ...
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第304便 古井さん 2020.04.10
「日本の純文学作家の最高峰の一人で、内向の世代を代表する古井由吉さんが18日、肝細胞がんで死去した。82歳だった。葬儀は近親者のみで営んだ」 と新聞で読んだ2月の朝、庭の地面に低く咲いていたクリスマスローズの色をしばらく見つめたあと、仕事部屋の書棚から抜いた古井由吉作品集「明けの赤馬」を机に置き、合掌した。 古井さんは競馬が好きだった。雑誌「優駿」に競馬エッセイを連載し、競馬会広報に関わる人たちが集まる東京競馬場と...
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第303便 無時間 2020.03.11
「暦では新しい年を迎えたが、そうした時計が刻む通常の時間、とは異なる時間がある、と谷川さんはいう。その時間の中では、死者たちも、一種の幻想みたいに存在しつづけている、という。谷川さんはそれを、無時間の時間と呼ぶ。肉体にこそ通常の時間が刻まれていくが、無時間を生きる魂や心は死ぬことはなく、不老不死。だから武満徹や大岡信ら親友が亡くなっても、寂しくないという感覚がずっとある」 と赤田康和という人が書いた文章を新聞で...