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第304便 古井さん

2020.04.10
 「日本の純文学作家の最高峰の一人で、内向の世代を代表する古井由吉さんが18日、肝細胞がんで死去した。82歳だった。葬儀は近親者のみで営んだ」
 と新聞で読んだ2月の朝、庭の地面に低く咲いていたクリスマスローズの色をしばらく見つめたあと、仕事部屋の書棚から抜いた古井由吉作品集「明けの赤馬」を机に置き、合掌した。
 古井さんは競馬が好きだった。雑誌「優駿」に競馬エッセイを連載し、競馬会広報に関わる人たちが集まる東京競馬場と中山競馬場の部屋に、GIレースの日にはやってくる。幸運にもそこに私もいて、長い年月、古井さんといっしょに半日を過ごした。
 「あきらかに最良の日本語の文章を作り上げた人」
 とノーベル賞作家の大江健三郎さんが敬意を表する古井さんの作品には、精神的に追い詰められていく人を緻密に描いたものが多く、初期の作品から注意深く読んできた私は、競馬場にいるときの古井さんの、いつもいつもおだやかな、笑顔を絶やさない姿に、その作品たちを並べてみたりして不思議を感じ、古井さんは競馬というものから安心を受けとっているのにちがいないと、勝手に推理したりした。
 「競馬とつきあうきっかけは?」と何度も質問するチャンスがあったのに私がしなかったのは、古井さんに関しては、その質問をしないで、さまざま推理したほうがおもしろいと思えるからだった。
 夜、勝手に私は古井さんの通夜と思い、酒をのみながら、「明けの赤馬」を読んだ。
 「現実の馬なのだ。この土地へ越して来てからもう十一年、朝帰りの三度に一度は、ここで顔を突きあわせる。思えば妙な酒だ。近くの農大の馬術部の学生たちが早朝に引いて行く。閑散とした大通りに出て三叉路の手前で信号を渡り、団地の脇を抜けて馬事公苑まで朝稽古に向かう」
 と読んで、馬事公苑の近くに住む友だちが、
 「よく見かけるんだなあ、散歩している古井由吉。つまらなそうな顔をしてね。それを見て、おれ、古井さんが、パドックで馬を連れて歩いてる姿を想像したりして」
 と笑っていたのを私は思いだした。
 「六月の日はとにかくながくて、夕方に乗り込んだ鈍行の車中で酒に飽いて弁当を済ませた頃にも、まだ暮れずにいた。左手の山側の車窓に牧場が見えてきた。いったん見えそめると、荒地を挟んで谷をわけて、次から次に現われる。青草の敷きつめた丘陵に、日を斜めから浴びて、それぞれの毛色のすこしずつ赤く染まった馬たちが三頭四頭、七頭八頭と群れている」
 と書き出された「午の日」も読んでみると、
 「案内をしながら同行者は飯の後の楊枝をつかっていた。見ると手にしたセブンスターの、箱とセロファンの間に綺麗に一列、楊枝が挟んである。千歳に飛行機で着いて苫小牧からこの汽車に乗るまで、途中飲み喰いの場所に寄っていないので、家からの用意と見えた」。
 という行となり、ああ、古井さんは雑誌「優駿」の取材仕事で日高線に、編集者と乗っているのだなと思い、その編集者が私もよく知っている、いつも楊枝を持参していた優駿編集部の福田喜久男さんだと分かるのだった。
 ふと、私の意識は昔へと向いた。1984(昭和59)年、1年のほとんどを北海道勇払郡早来の吉田牧場で暮らしている。その時、牧草刈りのシーズンに誰とだったか古井さんが現れ、半日近く、倉庫となる厩舎の2階へリフトで牧草の束を運ぶ作業を、古井さんは私といっしょに手伝ったことがあった。
 あれはいったい、どういうことだったのだろう。牧場の仕事がどういうものか、ちょっとでも体験しようと古井さんが申し出たものだったのか。

 それは寒い日、吉田牧場の母家のダルマストーヴを囲むようにして、吉田牧場のおばあちゃんのミツさんと古井さんが、とても静かに話を交わしていた場面も私は思いだした。
 そうそう、ほかにも、編集人の福田喜久男さん、カメラマンの渋谷竜さん、日刊スポーツ記者の横尾一彦さん、それに古井さん、そして私が、牧場主の吉田重雄さんと酒をのんでいた夕方も思いだせる。
 早来の吉田牧場は千歳空港に近いので、新冠や浦河へ取材で行ったときも、時間の都合をつけたりして、空港の出発時間までのあいだ、寄らせてもらって、吉田重雄さんとテーブルを囲むということがよくあった。
 ああ、みんな、あっちへ行ってしまった。嘘みたいに、おれだけが残っていると、吉田牧場での昔のひとときを絵のように思いうかべた。
 雑誌「優駿」の2019年2月号をひらいて、古井さんの「競馬徒然草」のページにした。
 「さて、私の月々の観戦記もこれをもって最終回となる。かれこれ三十年あまりも続いたようだ」
 という文章の流れ。
 「年を取ってめっきり記憶が霞んで、とかく往年の名馬の名もとっさに思い出せぬことがあるようになった。そのかわりに、条件戦で終った馬の名がふっと浮かんで、そのパドックを歩む姿がまざまざと見える。
 土曜日の競馬場の、パドックと投票窓口とスタンドの間を、レースごとに往復した頃のことが懐かしい。最終レースになってようやく観客席に腰をおろしたこともある。競馬場に来て初めて空を、暮れかけた空をつくづく見渡したものだ。それまでは馬に夢中だった」
 そして、行を変えて、
 「長いこと、お世話になりました」
 と結んでいる。
 「ふるいよしきち」
 と私は声にしてみた。
 2020年2月29日、新型コロナウイルス感染拡大を防ぐため、中山も阪神も中京も、無観客競馬での開催になった。
 家のテレビの競馬中継で、客のいない中山競馬場のスタンドが画面に映った。私は冗談を頼りにして、冗談に支えられて生きてきたので、その無人のスタンドに、こっそりと一人だけ座らせるという冗談を思いついた。
 中山競馬場のスタンドに、ひとりだけ、古井由吉さんが腰をおろしているのだった。

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