烏森発牧場行き
第364便 マサトノコドク
2025年2月23日、第42回フェブラリーSでコスタノヴァ(父ロードカナロア、母カラフルブラッサム、母の父ハーツクライ)が勝った。騎乗はレイチェル・キング。女性騎手でJRA平地GⅠ勝利は初めてである。
私は家でのテレビ観戦だったが、レース後すぐに、東京競馬場で見ていた正人から電話があり、「勝ちました。GⅠを勝ちました。マサトノコドク勝ちました」
と今にも泣きそうな声がした。正人と私のあいだでは、マサトノコドクという、コスタノヴァの別名があった。
かみさんに線香をあげにきてくれた客が帰ったあと、ひとりになって静寂とつきあううち、スマホに聞こえた正人の泣きそうな声がよみがえってきて、マサトノコドクという別名を思ううち、正人とのつきあいをふりかえりたくなった。
そう、昔、私は横浜の孤児院に月に2度、冗談を語りに行っていたのだ。その養護施設に、どうして私が行くようになったのか、それも思いだしたくなってくる。
私は50歳ごろから10年ほど、「はたらきながら学ぼう」という文章教室の夜間学校の講師をしていた。新日本文学会という文学運動体の運営で、中野や千葉や浦和や横浜に講座があり、私は浦和と横浜で生徒と向きあった。
横浜の教室の帰りに行きつけの酒場が横浜スタジアムの近くにあり、そこで仲よしになった紳士が、
「うちの施設に来て、子供たちを笑わせてくれないかなあ。笑えば子供たち、元気になる」
と私に言うのである。その紳士は、養護施設、孤児院の院長だった。
人間という生きもの、金と孤独との戦いで、おれの武器は冗談、と思っている私は、酒場でも冗談ばかり言って、笑ってもらうと幸せだった。
それを見ていた院長は、子供たちにも冗談を飛ばして笑わせてほしいと考えたのだろう。
「交通費ぐらいしか払えないけど、月に二度くらい、遊びに来てほしい」
と院長に頼まれ、生活に追われるばかりの人生で、世のため人のために何もなっていないし、ひとつぐらいは何かしなくてはとか思って引きうけ、75歳ぐらいまで月に二度、施設に通って子供たちと遊んだ。
中学校を卒業して働きだす子、高校を中退して働きだす子、高校を卒業して働きだす子、大学へ進む子、いろいろである。
施設を離れた子も個人的につながりがあるというのも多い。20歳を過ぎて、何かしらの仕事をしている子に、
「競馬場というところに行ってみたい?」
と声をかけてみる。「行ってみたい」という返事があると、中山競馬場か東京競馬場かに同行し、ひとつのレースにつき100円、自分が決めた1頭の単勝か複勝を買ってレースを見るという約束をした。
競馬を好きになってしまう人、まったく興味を感じなかった人、いろいろだが、その比率は半々というところかなあ。
どうして私が、その人たちに競馬場を見せようと思ったのか。私自身が、競馬を好きになったことで、人生の孤独と戦えたと感じたからだ。
両親が交通事故死して孤児になった8歳の正人は、私を見るといつも走ってきてしがみついてきた。
月日が流れ、中学校を卒業して植木職人の家に住み込んだ正人が20歳になった時、私は競馬場に誘った。
東京競馬場のパドックを馬たちが歩いているのを、おれと正人は見ていた。
「おれ、こうして馬を見ていると、ときどき、馬って孤独だよなあと思うんだ。で、人間だって、その人その人の孤独を持ちながら暮らしてる。馬と、なんだか共感するんだよなあ」
「ああ、馬も、そうか、孤独なんだ」
と正人が私の顔を見た。
その時のこと、その時の正人の、なんだか驚いたような顔を私はおぼえている。
2022年の有馬記念(イクイノックスが勝った)に、中山へ一緒に行く予定だったかみさんが急病で、正人に声をかけた。
第6Rメイクデビュー中山のパドックを見ていた。入場門の近くでもらったレーシングプログラムに目をやっていた正人が、
「おれと同じ誕生日の馬がいる。4月3日。コスタノヴァ。しかも、騎手がマーカンド。マーちゃんと呼ばれてるおれ、マーカンドのコスタノヴァの単勝を買わなかったらバチがあたる」
と少し興奮ぎみに言った。
単勝馬券を手にして正人はレースを見つめていたが、コスタノヴァは16頭立て11着だった。
「次にがんばる。この馬券、捨てずに部屋の壁に貼っておこう。同じ日に生まれたコスタノヴァはおれの馬」
そう正人が言い、
「コスタノヴァ、別名、マサトノコドク、がんばれ」
と私が言った。
正人はコスタノヴァの次走を待った。2023年3月11日、中山でコスタノヴァが未勝利戦を勝ち、それを中山で見ていた正人は、
「騎手が杉原誠人。マコト。ヨシカワマコトと同じ。もう、感動。マサトノコドク、感激」
と家にいた私に声をふるわせて電話してきた。
その後のコスタノヴァはルメール騎手の手綱が続いて1着をかさね、盛岡での重賞戦で、6着のあと5か月半の休養ののち、横山武史騎乗で2025年2月2日、根岸Sに出走した。
「今、ふるえてます。コスタノヴァの単勝を5,000円買っちゃって、おれ、こんなことしていいのかと思いながら、胸も、足もふるえてくるんです。もう、目をつぶって見ます」
と東京競馬場にいる正人から、家にいる私に電話がきた。
コスタノヴァは根岸Sを、そしてフェブラリーSを勝った。
2025年2月24日の昼、突然のように正人が小さな花束を持って私の家に現われた。私の88歳の誕生日だった。うれしかった。