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第367便 セツカク

2025.07.11

 去年11月に92歳で亡くなった詩人の谷川俊太郎のお別れの会が5月12日に開かれ、作家の池澤夏樹が、「孤独をしなやかに生きる。その谷川さんの姿勢を身につけたかった」と語りかけた。
 「孤独をしなやかに」という言葉が、私の全身の隅々にまで浸透してきて、「おい、88歳の君よ、この先、この言葉と、どのように向きあい、どのようにたたかうか、それが問題だな」と私は自分に語りかけ、ありがたい問いかけだと、池澤夏樹に感謝をした。
 5月29日の夜、鎌倉にあるコンサートホールで、交響楽団が演奏するバッハのブランデンブルク協奏曲第1番を聴いていた。音楽を聴くことの素晴らしさは、真面目になること。真面目とは自分と自分が会話すること。そう言ったのは、たしか文学者の小林秀雄だったよな。
 オーボエやホルンの音を聴きながら、「孤独をしなやかに生きる」という言葉を思い浮かべる。
そうそう、このホールで、まだ病気になる前のかみさんが、辻井伸行の「ショパン・スペシャル・協奏曲連続演奏」を聴いてきて、「音を聴きながら涙があふれてきた」と言っていたのを思いだした。
 「空へ行ってしまっても、そんな日を思いだしていたらいいよ」
 と私はかみさんに言っていた。
 コンサートホールを出たあと、同じ建物にあるコーヒーカフェに座った。バッハの曲を聴きながら、ちらちらと、おやじとおふくろの顔を思いだそうとしていたことに気が向き、どうして最近、ひとりで自分と向きあうような状況になると、親の顔が出てくるのかなあと不思議な気がした。
 そういえば、かみさんが死んでしまったあと、かみさんの父親のこと、母親のことを思いだしていることが増えている。
 うーん、これ、つまりはトシのせいなのだろうな。そう思って私は、カップに残っているコーヒーの色を見つめた。
 バッハの曲を聴いたばかりで、バッハには申しわけないのだが、ブランデンブルク協奏曲が、私のなかで「せっかく生まれてきたのだから」という曲名に変わっている。
 私の父(1900-1968)は埼玉の村で生まれ、小学校も卒業しないうちに、町の薬店へ奉公に出されてしまった。つらい日日だったが働き者だったのだろう。15歳ぐらいの時、薬店に営業で来ていた薬品問屋の社員にスカウトされ、東京神田の薬品問屋に移り、そこでも働き抜いたのだろう、25歳で独立した。
 私が中学生のころ、父が営む薬品問屋は社員が10人ほど。そのうちの半分は会社兼自宅の住み込み社員で、殆どが取引先の多い青森の薬店からの紹介者だった。
 中学を出て東京に来たわけだが、そのうちの誰かしらは親が競走馬生産牧場で働いているようで、休みの日に中山とか府中へ行く住み込み社員がいたのである。それで私も二人の兄も、彼らと一緒に競馬場へ行くようになった。


 私が初めて競馬場へ連れて行ってもらったのは中学校3年生の時、トキノミノルが勝ったダービーの日の東京競馬場。昭和26(1951)年だ。
 仕事と酒だけの父も日曜日の朝は神田駅へ行って競馬新聞を買ってくる。家族に背中を向けるようにして競馬新聞を読み、やがて馬券の買い目を紙に書き、私が呼ばれる。
 どうしたわけか、馬券を買いに行くのは兄たちでなく私の役目で、中学生の私が後楽園の場外馬券売り場まで自転車で行くのだ。私は私で、そのことの駄賃がうれしい。
 口数の少ない父だったが、せっかく私立の進学校へ行ったのに勉強が嫌いな私を心配したのか、高校3年生の私に、
 「人間には働き者と怠け者がいる。せっかく生まれてきたんだから働き者になれ。働き者になれば食っていける。せっかく生まれてきたんだから」
 と酒をのみながら、めずらしく、これだけは言っておくぞという顔で言った。
 「せっかく生まれてきたのだから」という言葉は私の頭に叩きこまれた。何があっても、「せっかく生まれてきたのだから」という思いがついてまわり、それに怠け者でなく、働き者でいなければという思いは、私の人生を救ってくれた。
 ああ、そのおかげで、どうにかこうにか生きてきて、88歳になった自分が、コンサートホールでバッハを聴いていると思い、おかげで、孤独をしなやかに生きることをめざす一日になったと、カップに残ったコーヒーをのみ干した。
 6月1日、東京競馬場へ行き、パドックの近くにあるトキノミノル像へあいさつに行って一礼し、「今日は第92回日本ダービーです」と伝えた。
 昨夜、日本ダービー史を開いて、第18回ダービーの頁で、トキノミノルの馬主は永田雅一、調教師は田中和一郎、騎手は岩下密政、生産は三石の本桐牧場、父セフト、母第弐タイランツクヰーンと確認したこともトキノミノル像に報告した。
 そのダービーの出走馬26頭の馬名を見て、2着イツセイ、3着ミツハタをはじめ、オリオン、ハクサン、ミルリー、クモタケ、サムソン、ミツウマと、四文字馬名が8頭もいるなあと思い、うーん、私も生まれかわって馬主になれたら、「せっかく生まれてきたのだから」のセツカクという馬名をつけたいなあと思った。
 トキノミノル像から大きな掲示板裏へと、ソメイヨシノやケヤキの林があっていくつものベンチがあり、もう空席などなく、それぞれがそれぞれの表情で、ダービーの日の空気を祝っているようである。
 パドックも満員である。大きな掲示板の前へと行き、第4R3歳未勝利、芝1600の出走馬15頭の行列を見る
 「やっぱりルメールから買っちゃうよね」
 となりにいる青年が言い、
 「ソナタンって名前、かわいい。カゼニナッテルっていう名前、変わってるね」
 と連れの女性が言い、
 「セツカクという馬名はどうですかね」
 と私は言いたくなった。
 馬券売り場の窓口へと歩く。オジさんはそこそこいるけれども、ジイちゃんはめったにいなくて、ダービーの日の競馬場の景色も変わったが、時代の変化を気にしてしまうと、孤独をしなやかに、というわけにはいかなくなるかなと思った。

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