烏森発牧場行き
2013年の記事一覧
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第228便 職人 2013.12.17
私は東京の千代田区神田紺屋町で生まれ育った。家がJR神田駅に近く、2階の窓をあけると、プラットホームに流れる駅員のアナウンスが聞こえてきた。 昭和20年代が私のガキのころである。町名の紺屋は、布を紺色に染める業のことだ。いくつもの家に物干し台があり、洗いたての白い布が細長い滝のように並び、風でひらひらと動いていた。 町内に下駄屋も箒屋も漆器屋もあった。店先に立って私は、その店の主人や使用人たちの作業を見ているのが...
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第227便 大井のびっくり 2013.11.20
明け方に目をさまし、なにも夢でハズレ馬券をくやしがることもないじゃないかと思った。 9月22日の神戸新聞杯のことである。1着エピファネイア、2着マジェスティハーツ、3着サトノノブレスだった。私が500円持っていた3連単の2着と3着が逆。レースが終わってすぐはくやしさがこみあげてきた。 でも、ハズレ馬券には馴れていて、くやしさを引きずるなんてめったにない。それにレースから数日が過ぎている。それなのに夢にまで出てきたの...
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第226便 別海、そして奥行臼駅 2013.10.18
もう30年もつきあっている競馬友だちのタキさんが、北海道夕張郡由仁町に住んでいる。 タキさんは山口県下関市の出身だが、神戸の大学を出てすぐ北海道に来て、北海道のあちらこちらで高校の国語教師をし、60歳で退職して、今、64歳だ。大学生のときに北海道をひとり旅して風景に惚れ、北海道での人生になったのだ。 私とタキさんが知りあったのは、ダートだった札幌記念を田島良保騎乗のオーバーレインボーが勝ったころの札幌競馬場でだ。パド...
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第225便 こよなきはげまし 2013.09.20
2013年8月7日の午前のことである。苫小牧市美沢にあるノーザンホースパーク内の、結婚式場の小さな教会に、オルガンの音色が流れはじめた。 ふと、その音色に抱かれたいと思った私は目を閉じた。ただ抱かれたいと願ったのに意識は動いてしまい、 「音楽を聴くというのは、いろいろに、さまざまに思考がめぐって、真面目な時間になること」 という小林秀雄(文学者)の言葉が浮かんだ。 真面目な時間になることは人間にとってすばらしいこと...
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第224便 手紙しかない 2013.08.14
米タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれ、「第2のスティーブ・ジョブズ」とも呼ばれているIT業界の寵児、36歳のアメリカ人、ジャック・ドーシーさんについての活字を読む。 『29歳だった7年前に仲間とサービスを始めたツイッターは、2億人が使うアイテムに育った。米大統領をはじめとする多くの政治家が自分の意見を直に発信し、世界の民主化運動を下支えする役割も果たしている』 と書いてある。 140文字以内でつぶやきを...
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第223便 長者橋で 2013.07.24
岩田康誠騎乗のロードカナロアが安田記念を勝った翌日、2013年6月3日の未明、 ロイスアンドロイスやワシントンカラーやテンジンショウグンの馬主だった清水道一さんが生涯を閉じた。89歳だった。 それを知ったとき私は、庭の梅の木の梅を取りながらひと休みしていて、バケツに集めた青い梅をずいぶん見つめてしまった。 病院のベッドに寝ている私の近くにいた清水さんが浮かんできた。そこは横浜の、窓からランドマークタワーが見える松島病...
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第222便 さらさらいくよ 2013.06.18
2013年2月下旬、 「きびしい寒さもようやくゆるみ、早春の気配の待たれるこの頃、皆様元気にお過ごしのことと存じます。 敗戦後間もなく、それぞれが戦火を逃れての先々から三々五々と今川小学校の門をくぐり、学び、遊び、泣き、笑い、卒業して64年。皆、数え、満の七七、喜寿の爺婆(ジジババ)と相成りました。 前々回で話が出され、2年前の同期会で決まりました『今川小学校37回卒業最終同期会』を次のとおり企画させていただきました」...
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第221便 「らくや」のひと晩 2013.05.23
2013年4月5日、金曜日の夜8時、 「おいでなんですけど」 と居酒屋「らくや」のママ、多恵さんから電話がきた。医師を引退した83歳のモネ先生が来たので、リョウさんも来てくれなければ困るというのが、多恵さんの「おいでなんですけど」である。 モネ先生は趣味で油絵を描く。フランスの画家オスカル・クロード・モネの「睡蓮」や「舟遊び」が夢の絵。モネが神さまで、「モネ先生」が愛称になった。 私は家から歩いて25分の「らくや」へ出...
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第220便 今年の弥生賞 2013.04.15
左足の親指の爪を切っていて失敗し、小さな傷から菌が入ったのか腫れて痛みだし、夜中に目がさめたりした。 こっちの皮膚科はダメ、あっちの皮膚科に行きな、と娘が言うので、足を引きずってアッチノ皮膚科へ行くと、待合室は満員。 そこにあった新聞を読んで待つ。 『気持ちは、ずっと変わっていません。1人だけ残ってしまった。自分だけ生き残ってしまって、よかったのだろうか。思いは、いまも消えません。 落ち着ける場所がないんです。...
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第219便 ちち、はは、ははちち 2013.03.14
私は競馬が大好きな若い人と酒をのむことが多い。若いといっても20代ではなくて、30代の人がほとんどだけれども。 2013年2月8日、金曜日の晩も、江の島の片瀬海岸に近い小さなバーで、大工のクボちゃん、税理士のミヤちゃん、デパート勤務のノダちゃんとのんでいた。3人とも30代の後半で、同じ高校の剣道部の仲間だ。競馬がとりもつつきあいである。 その日に私は午後3時から、頭部MRI単純+MRA単純、頚部MRA単純というのを病院でしていた...