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第227便 大井のびっくり

2013.11.20
 明け方に目をさまし、なにも夢でハズレ馬券をくやしがることもないじゃないかと思った。
 9月22日の神戸新聞杯のことである。1着エピファネイア、2着マジェスティハーツ、3着サトノノブレスだった。私が500円持っていた3連単の2着と3着が逆。レースが終わってすぐはくやしさがこみあげてきた。
 でも、ハズレ馬券には馴れていて、くやしさを引きずるなんてめったにない。それにレースから数日が過ぎている。それなのに夢にまで出てきたのは、無意識のうちにくやしさが体に染みついていたのかな。

 生きていると、いろいろなことを考えるものだなあ。そんなふうに、夢かうつつか、ハズレ馬券とつきあっちゃったよと笑いそうになりながら新聞をひらくと、「パ・リーグで優勝したプロ野球・楽天の打撃投手」という小さな見出しに目がいき、その下に「藤﨑絋範さん(33)」という活字。
 「忘れられない試合がある。2005年3月27日、楽天が球団創設初戦で勝った翌日の2戦目で、相手はロッテだった。スコアは0―26。今も語り継がれる歴史的大敗の先発投手だった。」
 と藤﨑さんが紹介されている。
 2004年に、1998年のドラフト5位で入団した近鉄から戦力外通告。楽天にテスト入団し、2007年に再び戦力外通告。楽天では26試合0勝5敗。9年間のプロ生活は1勝で幕を閉じた。

 私は面白がって藤﨑さんについての記事を読んでいるわけではない。生きていると、いろいろなことを考えるものだなあ、とまた思いながら、
 「おたがい、元気に笑って生きていこうよ」
 とカラー写真の、楽天のユニホーム姿の藤﨑さんの笑顔に私は声をかけるのだ。

 やはり新聞で、天台宗大阿闍梨の酒井雄哉さんの死を知る。比叡山の峰々を千日にわたって巡拝する千日回峰行を2度にわたって達成した人だ。足かけ7年、毎晩40キロを山川草木に祈りを捧げながら提灯ひとつで歩く。
 ちょいとつらいと逃げだし、逃げだすことが人生だなんて呟いてきたおれみたいな奴もいれば、酒井さんのような人もいる。そう思って私は、ぼんやりと沈黙してしまった。

 10月1日、5%から8%への、消費税率の引き上げが発表された。
 引き上げは仕方がないのだと言う人もいれば、生活に苦しむ人が増えるだけと言う人もいる。
 私も私なりに、自分の意見を持たなくてはと考えてみるのだが、結局は何が何だかわからなくなって、
 「ま、とにかく、しっかり生きて行けよ」
 と自分に声をかけて終わる。

 10月2日の朝、
 「退院祝いに、競馬場へ行きたいなあと思っていたら、今日、大井で、東京盃というのがあるんですね。もし行くのであれば、ごいっしょしていただけたらと思って」
 と近所に住む72歳の高沢さんが電話してきて、
 「行きましょう」
 私は返事していた。
 高沢さんは数年前まで、私立女子高で国語を教えていた。ハイセイコーのころからの競馬ファンで、鎌倉駅に近いバーでの昔の仲間だ。
 半月ほど前、胃を手術した高沢さんを見舞ったとき、退院してもういちど、競馬を見に行きたいと言ってたなと、電話のあとで私は思いだし、高沢さんは本当に競馬が好きなんだな、とあらためて考えた。
 タイセイレジェンドが1着、テスタマッタが2着、アドマイヤサガスが3着の東京盃。
 「6着までの5頭が栗東の馬だなあ」
 と言う高沢さんと11Rとかげ座特別のパドックを見ていた私は、背中をかるくノックされた。
 ふりかえってびっくり、私は言葉も詰まった。私の長女と仲良しのアイ子さんがいたのである。
 アイ子さんは大井競馬場の近くの団地に住み、港区にある病院の看護師である。競馬が好きで、アイネスフウジンがダービーを勝ったころか、まだ独身だったアイ子さんは、私とよく競馬場へ行った。
 「土日は殆ど休めないから中山や東京はいけないけど、休みの日に、たまにここに来るの。ケイスケも高校の部活で目いっぱいでね、相手にしてくれないし、バツイチ女のストレス解消」
 と笑ったアイ子さんは、息子のケイスケくんが10歳のころに離婚し、踏んばって生きてきた。
 高沢さんと私とアイ子さんは肩を並べ、馬場に近いフェンスの近くで、14頭立てのマイル戦、「とかげ座特別」のレースを見た。
 1着が9番人気ドゥルキス、2着が3番人気グレートサミット、3着が12番人気ヒノモトイチバンという波乱で、私と高沢さんは顔を見合わせただけだったが、
 「大変」
 つぶやいたアイ子さんが、
 「大変。大変。大変」
 くりかえして顔がかたまった。的中の馬連⑨―⑭を300円、アイ子さんは持っていたのだ。
「わたし、自分とケイスケの誕生日の馬券を300円ずつ買って遊んでるの。ケイスケが9月14日で、それで」
 と興奮気味のアイ子さんに、私と高沢さんが握手を求めた。⑨―⑭の馬連は6,940円だった。

 10月3日、アイ子さんの⑨―⑭が当たってよかったなあ、昨夜はアイ子さんにビールをおごってもらったなあと思いながら新聞をひらくと、伊勢神宮の、20年ごとの「遷御の儀」の写真があった。安倍首相や麻生副総理ら8閣僚が参列し、政財界関係者など約3千人が拝観したという記事を読む。
 その3千人のなかにいるような人生でなければダメだったのかなあと、誰かに心のなかで冗談を言い、いやあ生きてると、いろいろなことを考えるものだと思うと、大井のパドックで背中をノックされたのがアイ子さんというびっくり、そのアイ子さんが息子の誕生日馬券で穴を取ったというびっくりがよみがえってきた。
 「暗闇のなか、提灯の明かりにうっすらと照らされた白い絹の布が通り過ぎると、人々は頭を垂れ、柏手を打った」
 と新聞記事に戻った私は、大井競馬場でのびっくりが提灯の明かりに照らされたような気がした。
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