烏森発牧場行き
第365便 言葉たち
2025年3月30日、第55回高松宮記念。2番人気のジョアン・モレイラ騎乗のサトノレーヴが勝ち、クリストフ・ルメール騎乗のナムラクレアが4分の3馬身差の2着だった。
翌日の新聞で、サトノレーヴの馬主の里見治オーナーは、2017年の宝塚記念をサトノクラウンが勝ってから7年9か月ぶりのGⅠ勝ちだと読み、そのうれしさを推測してみる。
ナムラクレアは高松宮記念を3年連続して2着。長谷川浩大調教師は、「強力メンバーのなかで3着以下は離しているけど、いつも前に1頭いるのはくやしいです。残り少ないチャンスがあるかどうかですが、修正していければ」とコメント。
ああ、うれしさとくやしさのドラマ。そう思いながら私は、そのレースをふりかえる。
サトノレーヴはトモ(後肢)の左右のバランスが崩れたため、2度の長期休養をはさむなどして時間をかけて大切に育ててきた、と記事にあり、
「オーナーに理解していただけたのが大きかったです」と堀宣行調教師がコメントしている。
そのコメントを私はノートに書き移した。捨てがたい言葉を書き残しておくのは、私の習性である。
20代の初め、私は京都でバーテン生活をしていた。その酒場のカウンターに、よく京都大学の文学部の教授が座り、若い人を相手にして語っていた。ハンパに大学をやめ、東京から京都へと流れついていた私にとっては、その話を盗み聞きするのが、とてもうれしい授業だった。
「小林秀雄が書いとるんよ。感じることは信じることやって。
あのな、日記いうんを書いてな、三日坊主で終わる人が多い。でもな、それが正常やって、小林秀雄は言うとる。
何故なら、たいてい人間は、感じたことを書きたいんやね。けどな、感じることは信じるということやし、信じるってことは人生で1度か2度あるかないかのことで、今日も昨日と同じと書くことになるから、日記というのは続かないのが、むしろ正常だというわけ。
そこで、これはわたしの考えやけど、何処で誰と何をした、何を話した、という記録を書いとったら、それは人生の財産になる。わたしはな、言葉たちと生きとるんや」
と教授が言うのを聞いていて、私はメモ用紙に、こっそりと、「言葉たち」と書いた。
翌日私は大学ノートを買い、表紙に「言葉たち」と書き、仕事からアパートに帰ると、その日に聞いた他人の言葉で気になったものを書くのが習慣になった。
その習慣は、88歳になった今でも続いているので、「言葉たち」と表紙に書いた大学ノートは、いくつものダンボールに詰めこんであり、ダンボールの外に、それを書いた年代もマジックペンで書いてある。
堀宣行調教師のコメントをノートに書いた私に、誰かが、何かが、フラワーパーク、フラワーパークと呟いている。
当時は高松宮記念でなく高松宮杯。1996年に距離が2000メートルから1200メートルに変わり、GⅡからGⅠに格上げされ、そのレースで勝ったのが田原成貴騎乗のフラワーパークだ。
その祝勝会の帰り、会場だったホテルのエレベーターで一緒になった田原騎手との握手は、今でもしっかり記憶にあるなあ。
1996年の「言葉たち」ノートを読みたくなって探した。
第26回高松宮杯は1996年5月19日。中京競馬場に初めてGⅠのファンファーレが流れた。そう、3冠馬ナリタブライアンが参戦して4着だったレースだ。
『3歳時(当時の年齢表記)は骨折して不出走。4歳時の5月に入厩したが、また骨折。デビューにこぎつけたのは10月末の新潟。待望の初勝利は11月の雨の日の新潟。そのあとはそれまでの苦労を吹きとばすように、スプリンターとして恵那特別、千種川特別を勝ち、5歳になって、うずしおS、シルクロードSを勝って高松宮杯。そのフラワーパークのGⅠ祝勝会に自分がいるのは、とてもとても幸せ』
と私は書いている。
『その馬に初めて会ったころに、一度、いいなあと感じたことは、とても大事なことなんです、と祝勝会で松元省一調教師がスピーチを始めた。
さりげないセリフだけれど、おぼえておきたい含蓄があると私は感じた。
いっぺんいいなあと思わせてくれたのに、それが骨折などして、なかなか思うにまかせない。これはつらいことです、とスピーチは続き、つらいのは人間だろうか、馬だろうか、と訊きたい心理がはたらいて私は、耳をかたむけた。
馬があきらめずに踏んばりまして勝ちだしました、と松元師の言葉を聞き、人間もつらいが、それ以上に馬がつらいのだということを意識している松元師に、単に調教師としてでなく、人間の深みを感じとって、私はうれしくなってしまった。勝負の世界で勝利は喜びだが、そのことよりも大きな値打ちを知っている調教師なのだと。
けれどもフラワーパークが、どうしてこんなに強くなったのか、正直、わかりませんが、たぶん、フラワーパークを気にかけてくださる皆さまのふだんの心がけがよかったということなんだろうと、わたしは思っています、と松元師はスピーチをしめくくった。
あきらめずに踏んばっている人間の頼みは、ふだんの心がけしかないのだということなのだろう。
生産者の高橋啓さんのスピーチも書いておこう。
喜びが大きすぎて、なかなか喜びについていけないというのが実感です。
ノーザンフラワーの子はみんないい子ですが、フラワーパークは不運続きで、ダメかなあと悲しくなる状態も経験していたので、未勝利戦を勝ったときは、これで競走馬になれたと、うれしくてうれしくて、高松宮杯を勝ったときよりも、ずうっとうれしかったです』
1996年の「言葉たち」ノートを私は、見つめてしまった。30年近い月日が流れているけれども、夏に北海道平取町の高橋啓牧場を訪ねて、放牧地の青空の下、啓さんと何か言いあって笑ったひとときがよみがえってくる。