烏森発牧場行き
第362便 ハナの差
前号に続いて文章にかみさんが出てくる。君のかみさんの話など、読みたくないよという人がいるだろう。ごめんなさい。
63年もの月日を一緒に暮らしたかみさんが、空へ行ってしまった。悲しい。悲しいけれども、悲しんでばかりいられない。そうだ、かみさんとの新しい人生を作っていこうと決めた。
「おはよう」
「おやすみ」
「行ってくるよ」
「ただいま」
4つの言葉でかみさんと新しい生活を始めた。始めたからには、元気に、なるべく明るく暮らそうと自分に言い聞かせる。
2024年12月21日、家に親族が集まり、坊さんに来てもらって、七七忌の法要をし、みんなで南無阿弥陀仏を唱えた。
「わたし、拝まれているの?」
と私にはかみさんの声が聞こえたような気がした。
坊さんは海岸のある大磯から来ていて、70歳代の半ばだが、若いころからやっているサーフィンをまだ楽しんでいる。念仏とサーフィン。この取り合わせがおもしろいし、70代男のサーフィンも凄い。
インフルエンザで4人が欠席。坊さんが帰ったあと、私のほかに10人が膳を囲んだ。
「明日、有馬記念というレースがあって、中山競馬場へ行きます。それで、ひとり3,000円、有馬記念の馬券を買ってあげて、おれからのクリスマスプレゼントにします」
と私が言い、仕事部屋にあった馬券購入のマークシートと、コピーしておいた出馬表を配った。
競馬をよく知っている人も、少しは知っている人も、全く知らない人もいるけれど、私のプレゼントはウケたようである。
私の姉の子の、もうすぐ古希になるギタリストの裕之は競馬をまったく知らないので、私の妹の子で競馬好きの、もうすぐ還暦になる銀行員の和彦から、競馬の予想の◎とか△とかのシルシのことや、マークシートの単勝とか馬連とか3連単のこととかを教えてもらっている。
「わたし、有馬記念というと、フジヤマケンザンという名前が浮かんでくるの。昔のことだけど、子守神社の石段をママとのぼっていたら、途中の子守神社にママが寄って、鈴を鳴らしながら、3度も4度も、フジヤマケンザン、フジヤマケンザンって声に出して手を合わせてお祈りするの。
パパが1年間暮らした吉田牧場に、ママも何度か行ってた。吉田牧場が生産したフジヤマケンザンが有馬記念に出るので、ママがお願いをしてたのね。
ママが馬の名前を声に出して言うなんてめずらしいので、わたし、びっくりしたんだわ。それで有馬記念が近づくと、それを思い出すの」
と私の娘の、還暦がすぎたばかりの砂和子が言った。
そういえばかみさん、フジヤマケンザンのデビュー戦からずうっと気にしていたし、何年かあと、吉田牧場出身の吉田直哉がアメリカのケンタッキーで営むウィンチェスターファームへ、家事手伝いで行ってたこともあったなあと私は思い出した。
「フジヤマケンザンが出た有馬を勝ったのは、ブービー人気の、熊沢重文が乗ったダイユウサク。2着が1番人気の、武豊のメジロマックイーン。馬連①-⑧が7千なんぼの大穴。それで面白い事件が起きたのでおぼえてるんだ。
おれ、出版社勤務の、結婚したばかりの山田くんと一緒に見てたんだけど、レースが終わったら、山田くんの顔が真っ青になった。
わたしも買ってみようかなって、奥さんが、誕生日が1月8日だから①-⑧を買ってと、千円あずかったというんだ。
こんなの来るわけないじゃんて山田くん、その馬券を買ってなかった。当たり馬券を見せられないのは仕方がないとして、配当金は持って行かないとまずいよ。そういうわけ。
でね、おれも財布、からっぽになってるし、仕方なしにおれの行きつけの居酒屋へ行って、そこのおやじさんから金を借りてやったの。それで無事、山田くん、家へ帰った」
そんな話を私はしたのだが、みんな、自分が買う馬券のことに気が向いていて、あまり聞いてはもらえなかった。
「出走を取消したドウデュースもノーザンファームの生産馬だよなあ。15頭の出走になって、ノーザンファームが8頭、社台ファームが4頭、追分ファームが1頭。社台グループのほかは出走2頭。これ、ヤバイよなあ」
と和彦が言ったが、ひとりごとになった。
あれこれ言葉を交わしながら書いた10人のマークシートの、金額のところを私はチェックした。誰が何を買ったのかは見なかった。
ギターを持参してきた裕之が、かみさんの遺骨の前で、かみさんが好きだった「アルハンブラの思い出」を弾いて、七七忌が終わった。
翌日、私は中山競馬場にいて、第69回有馬記念の、レガレイラとシャフリヤールのハナ差のゴールを見た。
昨日の10人の馬券は誰も当たっていなかった。私がレガレイラの単勝と、レガレイラとシャフリヤールの馬連を買っていたのは、どちらの馬も、長いつきあいの仲よしが、40分の1口馬主だったので、有馬記念出走の記念馬券のつもりで買ったのだった。
西船橋駅行きのバスに乗った。満員。若い男が、「どうぞ」と席をゆずってくれた。「ありがとう。」私は若い男を拝んだ。
前方で交通事故があったとか、バスはまるで動こうとしない。それでなおさら、ゆずってもらった席がありがたかった。
窓の外の暗闇を見ながら、この2年、病魔に翻弄されていたかみさんは、生と死を行ったり来たり。ハナ差のたたかいをしていたよなあと思った。
それでおれは、いなくなったかみさんとの新しい生活をするわけなのだが、元気に生きるつもりでも先は知れてる。なるべく陽気に暮らそうと心がけるけれども、生きることとさよならすることとの、ハナの差の戦いになるのかなと思った。